「されど、向こうが人質とする場合がありますゆえ、その時は義元様自らがお救いに行かねばなりませぬ」 「もちろん、その時は臆したりせぬ」 「その意気にござりまする。義元様、落ち着いて、よくお聞きくださりませ。さきほど、それがしがお話しした読みの中で、相手は最悪の策を選んできました。おそらく、この後すぐに敵が奇襲をかけてきますがこれを退け、すぐに攻勢へ転じなければなりませぬ。大御台様を人質としているのならば、次に強硬な折衝を申し入れてくるはずにござりますが、これに怯(ひる)んではいけませぬ。向こうが力押しでくるのならば、力をもって制することが大事。完膚なきまでに叩き潰しておかねば、義元様が家督を嗣がれても、同じような叛乱(はんらん)が再び起きますゆえ。最も大事なことは、北条家が動く前に、この内訌を片付けてしまうことにござりまする」 「北条家が動く前に?……与力を乞うのではなく?」 義元は怪訝そうな顔で問う。 雪斎があえて北条家を遠ざけようとしていることに違和感を覚えたようだ。 「この件に嘴(くちばし)を挟まれ、北条家に借りを作れば、得よりも損の方が大きくなりまする。北条の援軍に頼って事を解決すれば、氏綱殿はさも義元様の後見人であるが如く振る舞うはず。そうなることは、今後を考えると得策ではありませぬ」 「されど、氏康殿に妹も嫁いでおり、北条家は味方というよりも親戚ではないか」 「もちろん、北条家はその筋を通してくるとは思いますが、それなりに迷いも生じるはず。氏綱殿の娘婿になった綱成殿が福島の血筋をひいているからにござりまする。それゆえ、北条家が逡巡(しゅんじゅん)している間に、あくまでも義元様の采配で素早く叛乱を鎮めることが肝要。さすれば、余計な介入を未然に防ぐことができまする」 「そういうことであるか……。されど、久能山に一軍がおり、恵探殿が花倉にいるということは、駿府が挟撃されるのではないか。やはり、東側の敵は北条家に背後を突いてもらった方がよいのではないか」 「それについては、とっておきの策がありまする。東側にいる敵は大した数ではありませぬ。これは陽動と見るのが妥当。ならば、駿府にいるわれらがこれを追い立て、花倉に関しては掛川(かけがわ)城の泰能殿と朝日山城の親綱殿に踏ん張ってもらうしかありませぬ。その上で……」 不気味な微笑をたたえた後、雪斎が言葉を続ける。 「……甲斐の武田家に援軍を頼みまする」 「武田家!?」 義元は思わず仰(の)け反(ぞ)りそうになる。今度こそ本当に驚愕していた。 「……甲斐の武田は、御爺様の頃からの仇敵(きゅうてき)ではないか」 「さようにござりまする。であればこそ、かような機会に取り込んでおかねばなりませぬ。ここからは非常に大事なことをお伝えしますゆえ、心してお聞きくだされ」 雪斎は真剣な眼差しを向ける。 固唾(かたず)を吞みながら、義元は頷いた。 「こたびの叛乱は、目先のことだけでなく、先々のこと、いや、今川家の行末まで見据えて対処せねばなりませぬ。そのためには、甲斐の武田と和をなしておくことが重要かと存じまする」 ここからが軍師を自負する雪斎の真骨頂だった。