「大事ありませぬ。ご安心くださりませ」 「それはよかった」 安堵の息をついた義元の脇から、雪斎が鋭く問いを発する。 「して、敵方の様子は摑めているのか?」 「恵探殿と越前守殿は花倉城を固めておりまする。さらに焼津(やいづ)の方ノ上(かたのかみ)城に篠原(しのはら)刑部(ぎょうぶ)、斎藤四郎衛門らが入り、花倉城と連係を取っている模様にござりまする」 「さようか。朝日山城の兵数は充分か?」 「はっ! 充分な上に、宇津山城と朝比奈城から増援が駆け付ける算段となっておりまする。何よりも、親綱殿が大御台様に手を掛けようとした越前守殿に激怒しており、お許しがあれば、すぐに敵方を攻めたいと申しておりまする」 「うむ、わかった」 雪斎は義元に向き直る。 「御大将、御下知を」 「機をみて、まずは方ノ上城から攻めるがよい。こちらは久能山に陣取った敵を駆逐してから、すぐに救援に向かうゆえ」 義元は雪斎に習った通りに命を下した。 「はっ! 畏(かしこ)まりましてござりまする。では、急ぎ朝日山城に戻りますゆえ、これにて御免仕りまする」 朝比奈泰長は片膝をついたまま深々と頭を下げてから、弾かれたように今川館を出て行った。 「何もかも、そなたが申した通りになったな、雪斎」 義元が感慨深げに呟く。 「まだ始まったばかりにござりまする。気をお引き締めくださりませ」 「ああ、わかった」 「では、それがしはいくつか手配りを済ませてまいりまする」 雪斎は主君の前から辞す。 ――ここまでは、ほぼ思い描いた通りに事が進んだ。北条はすぐに動けまい。一足早く、武田の尻を叩いておくとするか。 そう思いながら、待たせておいた善得院(ぜんとくいん)住持の処へ向かった。この者に甲斐の岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)を訪ねさせるためである。 雪斎は臨済宗の人脈を使い、武田信虎に接触を図っていた。 二十五日の未明から始まった今川義元と玄広恵探の戦いは、緒戦で敵を撃退した義元が優勢のまま進む。 六月十日には、怒りを頂点まで貯め込んだ岡部親綱が方ノ上城を猛攻撃し、一日でこれを落とした。 その余勢を駆り、義元と雪斎は花倉城の総攻めに転じ、玄広恵探と福島越前守はこれに抗しきれず、城を棄てて逃亡する。北にある瀬戸谷の普門寺(ふもんじ)に入り、息を潜めていた。 義元はじわりと軍勢を寄せ、この普門寺を囲む。 雪斎は眼を細め、その様を見ていた。 ――これで謀叛(むほん)は難なく鎮まる。われながら上首尾であった。 玄広恵探が花倉の御曹司と呼ばれていたことから、この今川家の内訌は「花倉の乱」と呼ばれた。 それにまつわる風聞が隣国へ流れてゆき、やがて武田晴信の耳にも届いた。