連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志3 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「練香や細帯は、その人により好みがはっきりとわかれ、殿方がそれを見抜くのは、なかなかに難しゅうござりまする。わたくしのように御方様の側で長くお仕えしていても、練香や細帯を選んで差し上げるのはひと苦労。やはり、最初は一束一本が無難かもしれませぬ。女人は季節や装束の色によって丈長も変えますゆえ、色々な飾り杉原をいただけるのは、まことにうれしゅうござりまする」
「そういうものであるか……」
「されど、問題もありまする」
「問題?」
「甲斐で朝霧様が喜ばれるような衵や杉原が手に入るかどうか」
「難しいのか?」
「京の都で、もてはやされるような艶やかなものは、やはり……」
 藤乃は小さく首を横に振る。
「……せめて、駿府(すんぷ)へでも探しに行くことができれば見つかると思いまする。今川家の御方様が都から参られましたゆえ、あそこならば京風の物がたくさんありまする」
「駿府か……」
 信方も腕組みをして首を振る。
「それは、ちと厳しいな。今は目立った戦(いくさ)がないにしても、われらと今川家が敵同士であることに違いはないからな」
「……手立てがまったくないというわけでもありませぬが」
 藤乃の呟きに、信方が眼を見開く。
「いかような方法であるか?」
「御方様にも関わることゆえ、お前様に申し上げてよいやら……」
「水くさい言い方をするな。見かけ以上に、この口は堅い。太郎様のためではないか」
「わかりました。実は、いつも御方様の御用をきいてくださる下諏訪(しもすわ)の商人(あきゅうど)、久兵衛(きゅうべえ)殿が駿府にもよく参られるようで、京へも伝手(つて)がおありになるのだとか。その方は御方様の御父上が今川方に与(くみ)しておられた頃からの御用聞きにござりますゆえ、甲斐ではなかなか見かけぬ、珍しい京風の品々なども見繕ってくださりまする。されど、それが御屋形様の御耳に入りますれば……」
 長い睫毛(まつげ)を伏せ、藤乃が次の言葉を吞み込む。
「確かにな」
 信方も眉をひそめる。 
「今川家に近いと知れれば、久兵衛殿とやらが新府への出入りを禁じられるやもしれぬ。さすれば、御方様にも奇禍(きか)が及びかねぬ。確か、下諏訪の商人と申したな?」
「はい、さようにござりまする」
「今、当家は韮崎(にらさき)を挟んで諏訪(すわ)頼満(よりみつ)とも睨み合っておる最中だ。今川とのことだけでなく、何かと差し障りが大きいやもしれぬな……」
「やはり、余計なことを申し上げてしまったようにござりまする。相すみませぬ」
 藤乃は差出口を後悔するような表情で俯く。
 その顔を見ながら、信方は盃を置き、再び思案する。
 ──確かに、厄介の種がないわけではない。されど、悩み事が山積する中で、太郎様が前を向いておられるのだから、この身も面倒を恐れて尻込みするわけにはいかぬ。せっかく、於藤が良い智慧(ちえ)を授けてくれたのだ。乗らぬ手はあるまい。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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