当初は遺体の引き渡しをめぐり、扇谷上杉家と一悶着あったが、輿入れ後のことでもあり、武田家の身内として甲斐に埋葬することに決まった。 当日、侍女の立花は朝霧姫の小さな位牌だけをかき抱き、躑躅ヶ崎館を出立する。太郎をはじめ、大井の方、信方と藤乃だけが見送ったが、立花は小さく会釈しただけで一度も振り返らずに追手門(おうてもん)を後にした。 だが、太郎は立花の瞳に怨恨の焔(ほのお)が立ち上っているのを見逃していなかった。 ――武田家が朝霧殿を見殺しにした。立花殿は間違いなく、さように思うているのであろう……。 太郎の心中にもそのような悔恨があったからだ。 朝霧姫の位牌と侍女の立花が武蔵に戻ったことで、扇谷上杉家とはひとまず手切のような状態になった。 「輿入れした娘がたった一年で亡くなったことに、扇谷上杉朝興(ともおき)殿が激怒しており、もはや関係の修復はできそうにありませぬ」 家宰の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)から、そのように報告を受けても、信虎はどこ吹く風といった表情だった。 「扇谷上杉は思うたよりも北条に対して弱腰であり、あてにできぬ。朝興に泣きつかれ、武蔵へ無用な援軍を送らずに済み、かえってよかったではないか」 信虎はそう嘯(うそぶ)き、冷笑を浮かべる。 「それよりも、問題は兵糧の調達じゃ」 「……兵糧の調達、とは?」 荻原昌勝は戸惑いを隠せない。 「甲斐がこれほど弱っているのだ。隣国も同じであろう。相手が弱っている時こそ、攻め時ではないか。要は、我慢比べだ。兵糧さえあれば、戦はできるのだから」 「まさか、戦を……」 「そなたがまさかと思うのだから、敵の驚きはその倍であろう。戦というのは、詭道(きどう)に限る。己が苦しいならば、その鬱憤をすべて敵にぶつければよいのだ。敵の領地で好きなだけ略奪ができるとなれば、兵たちの眼の色もさぞかし変わるであろうよ」 信虎の野放図な発想には、誰もついていけなかった。 飢饉と疫病の真っ最中に戦をしようなどというのは、常人の発想ではない。まさに、餒虎(だいこ)ならでは思いつきだった。 そして、暮れも押し詰まった十二月二十四日、信虎は定書(さだめがき)を発布し、領国内に押立公事(おしたてくじ)、未定の役などを求める。押立公事とは上乗せされる臨時の雑税であり、未定の役とは臨時の緒役を課すことだった。つまり、この二つは戦をするための兵糧の調達と急な兵役を意味していた。 この定書に甲斐の国内はさらに動揺し、今にも一揆(いっき)が蜂起しそうな気配となる。 それを聞いた信方は、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。 ――年明け早々に戦をするというのか!?……太郎様の奥方が亡くなったばかりだというのに、御屋形様には喪に服すというお気持ちさえないようだ。 当の太郎は、信じ難いほど鬱ぎこんでいる。弓箭の稽古や修学をいっさい止め、室に閉じ籠ったきりだった。 信方が何度か声をかけても、返答さえなかった。