「なんということか!」 一瞬にして混乱し、頭を抱える。 「無理だ!……訊けぬ……さようなことは、太郎様にお訊ねできぬぞ。まさか、あの莫迦げた風聞がまことのことかどうか、などとは……」 「お前様が訊けぬと申されるならば、致し方ありませぬ。されど、太郎様の御耳に風聞が入っておらぬとは考えられませぬ。いかようなお気持ちでおられるのか、その方が心配にござりまする」 「それはそうだが……。もしも、太郎様でないとしたならば、いったい……」 父親は誰なのか? そう言いかけて、信方は己の言葉を吞み込む。 あまりにおぞましい問いだった。 ――懐妊がまだ曖昧なはずの、かなり早い時期から風聞だけが流されている。まるで、太郎様の御子であるが如く……。されど、われらはそうでないことを知っている。もしも、太郎様が父親でないとしたならば、風聞が流布された裏にあるのは悪意以外の何物でもない……。 「お前様、心配事はそれだけではありませぬ」 藤乃の声で、信方は我に返る。 「……まだ、あるのか」 「御方様が薬師から聞いたことによれば、朝霧様はつわりが酷く、卯月(四月)頃からほとんど何も召し上がれない状態が続いているそうにござりまする。お軆が痩せ細り、このままでは危ないかもしれぬと」 「このままでは危ないとは?」 「もしも、流産や早産となれば、母子ともに命の危険があるやもしれませぬ。御方様が召し上がれそうな物を差し入れなさっているようにござりますが、ほとんど食べることができぬようだと。おそらく、気鬱に苛(さいな)まれて食が喉を通らぬのだと思いまする。つわりが酷い時は、食べられるものを、食べられるときに、食べられるだけ食べるしかありませぬ。されど、今の飢饉のような時期には、好物だけを探すということもできますまい。ちょうど、桜の候の直前につわりが始まったとするならば、いまは半年をゆうに過ぎており、悪阻(おそ)も徐々に収まるはずなのに……」 「出産ということで実家にお戻りいただいた方がよいのではないか」 「朝霧様の御様子を聞く限り、長旅は余計に危のうござりまする」 「いったい、どうすればよいのだ。それがしには、まったくわからぬ……」 「御懐妊がまことならば、無事に出産が終わることを祈るしかありませぬ。されど、御子が生まれれば、今度は太郎様の心の問題が……」 「とにかく、父親が太郎様ではないかもしれぬということは、絶対に他言しないでくれ。御方様や薬師にも口止めしておいた方がよい。朝霧様に何かあれば、それはもはや太郎様の問題だけではなく、当家と扇谷上杉家の問題に発展する怖れがある。かような状況の中で上杉一統と縁が切れれば、武田家が孤立することになってしまう。それゆえ、この件は他言無用だ」 信方は藤乃に念を押した。 「……承知いたしました」 もはや二人でどうにかできる状況ではなかった。 「それがしは役目に戻る」