連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志3 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……御老師から万葉集をお借りして学んだが、やはり一朝一夕では体得できぬ。そこで改めて相談したところ、万葉集から春の歌を選び、花見などに誘うてはどうかとお答えをいただいた。自作の下手な歌を添えるよりも、その方が良かろうと思い、春の長歌を一首、選んでおいた」
「どのような歌にござりまするか?」
「まあ、どのような歌でも、よいではないか」
「水くさいことを仰せにならず、教えてくださりませ」
「うぅむ、仕方がないな……。おとめらの頭挿(かざし)のために、遊士(みやびお)の蘰(かずら)のためと、敷きませる、国のはたてに咲きにける、桜の花のにほひはもあなに」
 太郎が選んだのは若宮年(わかみやの)魚麻呂(あゆまろ)が伝誦したとされる長歌だった。
 この歌には「乙女のかんざしのために、風流人の髪かざりのためにと、御主上の徳が敷き詰められた国の隅々まで咲く、桜の花の、ああ、なんと美しいことよ」という春爛漫の喜びが込められている。
 この長歌に答える短歌として「去年(こぞ)の春、逢へりし君に、恋ひにてし、桜の花は、迎へけらしも」という一首が万葉集にあり、これも魚麻呂の伝誦とされていた。
 こちらは「去年の春、お逢いしたあなたに恋焦がれるように、桜の花は今年も咲き、あなたを迎えております」という意味である。
 太郎は岐秀(ぎしゅう)禅師から教わった意味を信方に伝えた。
「御老師が『こたびはこの長歌を贈って花見に誘い、来年また花見の頃に短歌を贈るのが洒落ているのではないか』と仰せになられた。乙女のかんざしという言葉が贈り物の丈長とも重なり、とても良い歌だと思うた。さすがに、ここまでの歌は自作できぬゆえ」
「確かに、雅びな歌にござりまするな。これならば、若のお気持ちも朝霧様に伝わるのではありませぬか」
「であれば、よいのだが……」
「自信をお持ちくだされ。きっと、わかっていただけまする」
 信方には確信があった。
 すでに大井の方と藤乃が朝霧姫の侍女、立花と話をし、だいたいの状況がわかっている。 やはり、朝霧姫は急に故郷と親元から離れたせいで、鬱(ふさ)ぎこむ日々が続いているようだ。 しかし、太郎と親密に接することができないことに対しては、申し訳ないという気持ちを抱いているらしい。それは太郎にしても同じであり、若すぎる二人が慣れ親しむには時をかけるしかなかった。
 焦らずに、少しずつ距離を縮めていくのが大事だった。そのためには、文や贈り物を契機とするのがよいかもしれないと侍女の立花も思っていた。
 ──まずは、若の方から気遣いを見せねば、朝霧様も心を開くことができまい。まことに難しい婚姻となってしまったが、やはり、互いにとって早すぎたのであろう。
 それが藤乃から話を聞いた信方の結論だった。
「若、善は急げと申しまする。すぐに、文と贈り物を朝霧様にお届けいたしましょう」
「ああ、わかった。文をそなたに預ければよいのか?」
「はい。於藤から立花殿に渡してもらいまする」
「よろしく頼む。板垣、弓の指南書のことなのだが……」
「さように訊かれると思い、ここに用意してありまする。虎春めの文章があまりに下手くそなので、注釈を入れるのに苦労いたしましたが、我ながら、なかなかの出来映えになったかと」
 信方は弓箭の要諦をまとめた書面を太郎に渡す。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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