よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「いや、謙遜いたすな。そなたの力はわかっている。進め方や仕上がりについては、すべて任せたい。何か必要なものがある時は、遠慮なく申せ。民部、頼りにしているぞ」
「承知いたしました。すぐに高遠城へ向かいまする」
 馬場信房は主君の期待を背負って下伊那へと向かうことになった。
 喪が明けると、川中島(かわなかじま)の合戦後から止まっていた武田一門が再び動き始める。
 駒井(こまい)政武(まさたけ)は内談の結果を踏まえ、北条(ほうじょう)家との折衝を進め、厩橋(うまやばし)城を東西から挟撃するという承諾を取り付けた。
 その間、義信(よしのぶ)と飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)が中心となり、西上野に根を張る国人衆の調略を進める。手始めに富岡(とみおか)の高田(たかだ)繁頼(しげより)を誘降させ、高田城を武田家の足場にすることを承諾させた。
 義信は任された役目を着々と果たしていた。
 そんな状況の中、西上野への出兵を知った真田(さなだ)幸隆(ゆきたか)が躑躅ヶ崎(つつじがさき)館を訪れ、信玄に面会を求める。
「御屋形(おやかた)様、本日はお願いがあって罷(まか)り越しました」
「どうした、一徳斎(いっとくさい)?」
 信玄はいつになく神妙な重臣の様子をいぶかった。
「懼(おそ)れながら、西上野への出兵があると聞きまして、そのことにも関わる相談がござりまする」
「さようか。遠慮せずに申してみよ」
「……実は、吾妻(あがつま)郡のことにござりまする」
 幸隆は躊躇(ためら)いがちに切り出す。
 真田家が本貫地としている上田(うえだ)から鳥居(とりい)峠を越えれば、そこはすぐに上野国の西辺である吾妻郡だった。
「なるほど、確かに吾妻郡ならば、西上野のことであるな。しかも、そなたら滋野(しげの)一統に関わる問題か」
「さようにござりまする。昨年、臣従を許していただいた甥(おい)の鎌原(かんばら)幸重(ゆきしげ)が、またしても羽尾(はねお)道雲(どううん/幸世〈ゆきよ〉)から圧迫を受け、三原庄(みはらのしょう)を押領されておりまする。どうやら、羽尾の背後に岩櫃(いわびつ)城の斎藤(さいとう)憲広(のりひろ)がついたようで、この者は長尾(ながお)政虎(まさとら)と通じているのではないかと」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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