よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 二人はこの地域で幼い頃から関東管領(かんれい)の同心であった。
 上杉憲政(のりまさ)が越後へ逃げてからは、早々と武田に臣従した小幡家と態度を明らかにしなかった高田家に分かれたが、今回は小幡憲重の申し入れを渡りに舟と考え、高田繁頼が調略に応じることになったのである。
 こうして武田勢の西上野侵攻が始まった。
 翌日、小幡憲重と信実の親子が三千の兵を率い、高田城から国峯城の近くまで押し出し、高田繁頼が使者となって小幡景定に開城を申し入れる。
『もしも、無血で城を明け渡すならば、城主及び城兵の命だけは保証する』
 そのような条件で三日だけは待つという内容だった。
 翌十一月二十四日の未明になり、小幡景定は開城に応じ、城兵を連れて箕輪城へ出立した。
 小幡憲重と信実の親子は無血で国峯城を取り戻し、義信もこの城へ移る。
「さて、かねてからの策通り、西上野に良い足場ができた。まことに上首尾である。ここに集った皆に感謝したい」
 義信は上機嫌で一同を労(ねぎら)った。
 この朗報はすぐに躑躅ヶ崎館の信玄に届けられ、吾妻郡で画策を進めていた真田幸隆にも知らされる。
『年内から来春にかけて、この足場を固め、更なる調略を行いとうござりまする』
 義信はそう申し入れ、信玄はすぐに承諾した。
 暦が師走(十二月)に入る前、国峯城で評定が開かれる。
「それがしがここに留まり、来春までじっくりと周囲を調略していくことを御屋形様にお許しいただいた。年明けまでに策を固めておきたいゆえ、この辺りの地勢に詳しいそなたらの意見を聞きたい。上総介(かずさのすけ)、こちらに地図を」
 義信は小幡信実に命じる。
「承知いたしました」
 運ばれた地図を囲み、意見が交わされた。
「尾張守(おわりのかみ)、まずはそなたの見立てを聞きたい。この辺りでわれらの誘いに応じそうな地の者はおらぬか?」
 義信は小幡憲重に問う。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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