よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 甲斐、信濃から西上野へ至るには、大きく四つの道筋がある。
 その経路は必ず峠を越えなければならず、南から十国峠筋、今回使われた内山峠筋、その北側にある碓氷(うすい)峠筋、すなわち東山道(中山道)。そして、さらに北へ行った鳥居峠筋、別名、吾妻道とも呼ばれる道筋だった。
 憲重が最初に名指しした小林監物は、十国峠筋の途上にある大塚城の主(あるじ)だった。
「確かに、監物ならば恭順の意を示すやもしれませぬ」
 高田繁頼も賛同する。
「以前、かの者が北条家よりも武田家の麾下(きか)に入りたいと漏らしていたことを小耳に挟みましてござりまする」
「小林監物が話に乗ってくるならば、同じ多野郡にあります高山(たかやま)城の高山行重(ゆきしげ)も同心するかもしれませぬ。大塚城の東にある高山郷の小領主で、監物とは昵懇(じっこん)の仲にござりまする」
 小幡憲重は二人目の名を示す。
「十国峠筋の者たちならば武蔵国(むさしのくに)に近い分、北条家との兼ね合いも出てくるが、当家に参ずるということならば問題はあるまい。そうとならば、次に気になるのは東山道(碓氷峠筋)の者たちであるな」
 義信は国峯城の北側に眼を転じた。
「若、東山道といえば、以前、高崎(たかさき)宿の近くにあります和田(わだ)城の和田業繁(なりしげ)という者が御屋形様に内通してきたという話を耳にした覚えがありまする」
 飯富虎昌が地図を指差す。
 厩橋城に近い群馬郡高崎(たかさき/赤坂〈あかさか〉)にある和田城だった。
「確かに、さような話を聞いたな。父上に確認した上で、和田業繁の意思を確かめてみるか。ともあれ、和田城は厩橋城に近すぎる。その前に片付けねばならぬ城がいくつかありそうだな……」
 義信は碓氷峠筋に眼をやる。
「和田城の西側に鍵となる城がふたつありまする」
 高田繁頼が具申する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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