よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「碓氷郡安中(あんなか)宿の安中城と松井田(まついだ)宿の松井田西城にござりまする。安中城の安中重繁(しげしげ)は今のところ箕輪衆に同調し、越後勢についておりまする。松井田西城の諏訪(金刺〈かなさし〉)明尚(あきなお)は長野憲業(のりなり)の庶弟でありまして箕輪衆そのものと申しても過言ではありませぬ。この二人はなかなかに曲者(くせもの)で、一筋縄ではいかぬやもしれませぬ」
「安中重繁と諏訪明尚か。覚えておこう。おそらく、碓氷峠筋はこの西上野制覇の最後を飾るものになるであろう。やらねばならぬことは、大筋わかった。焦らずに、為(な)せることから始めていくとしよう。本日は皆、大儀であった」
 義信は評定を締める。
「兵部、相談がある。そなたは残ってくれ」
「承知いたしました」
 飯富虎昌を除いた者たちが室から退出した。
「何か気になることがありましたか、若?」
「いや、評定のことではないのだ……」
 義信は傅役(もりやく)の顔を見つめる。
「……実は、油川(あぶらかわ)殿のことなのだが」
「ああ、なるほど」
 飯富虎昌は微(かす)かに表情を曇らせる。
 義信が言った油川殿とは、信玄の側室であり、天文(てんぶん)十九年(一五五〇)に砥石(といし)崩れの一戦で討死した油川信友(のぶとも)の一人娘だった。
 油川殿は母も幼い時に亡くしており、父親が討死してからは天涯孤独の身となり、信玄が面倒を見ているうちに寵愛(ちょうあい)を与える間柄となったのである。
 弘治(こうじ)元年(一五五五)頃に側室となり、油川御寮人(ごりょうにん)と呼ばれた。
 諏訪御寮人よりも後から側室になったのは、この女人だけであり、すでに信玄との間に二人の男子が誕生している。
「……御懐妊の風聞にござりまするか?」
 虎昌は渋面で切り出す。
 この傅役が言ったように「油川御寮人に新たな子が授かっており、臨月間近である」という風聞が家中に流れていた。
「やはり、そなたも知っていたか。されど、まことの話なのか?」
 顔をしかめながら、義信が確認する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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