第七章 新波到来(しんぱとうらい)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
真田幸隆は深々と頭を下げる。
「ところで、一徳斎。そなたは善光寺平(ぜんこうじだいら)の様子をいかように見ているか?」
信玄は信濃先方(しなのさきかた)衆筆頭としての幸隆に問う。
「あの戦(いくさ)の後は、驚くほど当家にとって良き状態だと思いまする。善光寺平の小城に巣くっていた越後(えちご)勢は完全に撤退し、態度を曖昧にしていた国人衆たちも当家への臣従を申し出てまいりました。特に善光寺三山といわれております飯縄山(いいづなやま)、戸隠山(とがくしやま)、黒姫山(くろひめやま)の修験僧をはじめとする者たちが与してきたことは大きいと存じまする。それに合わせ、善光寺門前の民も当家への帰依を表明し始めました。残る越後勢は国境北辺の飯山(いいやま)城だけかと」
真田幸隆が言ったように、四度目の戦いの後、川中島を中心とする善光寺平の情勢は激変した。
その理由のひとつに、越後勢があたふたと善光寺平周辺から撤退したのに対し、武田勢は犀川(さいがわ)を越えて善光寺平に残り、敵味方の区別なく骸(むくろ)を集め、手厚く葬ったことがある。
この姿が善光寺平の民たちの心を動かし、武田家への臣従や帰依に傾いていった。
多大な犠牲を払った合戦の見返りとして、武田が善光寺平の覇権を掌握したのである。
北信濃で多くの足場を失い、残る越後勢はわずかに飯山城の高梨(たかなし)政頼(まさより)だけとなっていた。
「昌信(まさのぶ)がいつでも飯山城へ寄せられるように支度をしておりまする」
幸隆の言葉に、信玄が頷く。
「さようか。まあ、高梨の成敗はさほど急ぐ必要もあるまい。とにかく善光寺平を固めることに専念し、次は西の飛騨(ひだ)も見ておくことが大事やもしれぬ。色々とやらねばならぬ事柄が多く、まだまだ難儀するな、一徳斎」
苦笑を浮かべた信玄を見ながら、真田幸隆は小さく頷いた。
――かくして日常に戻ってしまえば、時の急流に身を任せるが如(ごと)し。抗(あらが)う術(すべ)は、あるはずもなし、か……。
それが偽らざる信玄の心境だった。
そして、義信と飯富虎昌が率いる軍勢五千余が、永禄(えいろく)四年(一五六一)十一月十八日に内山峠を越え、富岡の高田城へ入った。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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