第四章 万死一生(ばんしいっしょう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
皆で夕餉(ゆうげ)をとってから、夜は三条の方を労うため、あえて二人きりで晩酌をしながら話をする。
「本日、太郎と武技の稽古や兵法の修学について話をしたのだが、正直に申せば驚いた。あまり誉め過ぎて増長されても困るゆえ、ほどほどに評価しておいたが、実に成長が著しい。このところ忙しく、あまり面倒を見てやれなかったが、父親の知らぬところで立派になった。そなたのおかげだ」
「いいえ、あの子は御前様に誉めて欲しくて、日々、精進を続けているのでありましょう。聞きたがるのは、御前様のお仕事のことばかり」
「さようか。齢十を過ぎれば、嫡男はいつ元服を行うてもおかしくはない。しっかりと準備が進んでいるようだ。やはり、そなたと傅役の飯富のおかげであろう。改めて、礼を言いたい」
「……嬉しゅうござりまする」
「そなたも一献、どうか?」
晴信は妻の方に盃を差し出す。
「頂戴いたしまする」
流盃を吞み干し、三条の方はうっすらと頰を染める。
「太郎はそなたに何か欲しい物の話などをしておらぬのか?」
「……ないわけでは、ありませぬが」
三条の方は睫毛(まつげ)を伏せ、次の言葉を言い淀(よど)む。
「どうした。言いにくい話なのか?」
「いいえ、そういうわけでは……」
「なんだ、遠慮なく申してみよ」
「……この間、突然、弟が欲しいと申しまして……」
「えっ!?」
晴信は思わず絶句する。
それから、苦笑を浮かべて呟(つぶや)く。
「……ずいぶんと唐突な話だな」
「あの子は御前様と信繁殿を見て、羨ましく思うているようにござりまする。だから、自分にも血を分けた弟が欲しいと思うたのではありませぬか」
「さようか……。されど、これだけは……天の授かり物だからなぁ」
晴信は頭を搔(か)きながら盃を干す。
だが、実際は天の授かりも、夫婦の睦事(むつごと)があってのことだった。
――弟か……。もしも、授かるならば、太郎も同じ母の子がよいに決まっている。……されど、御方と同じ床へ入ることを考えると、何となく照れくさくなってしまう。もはや、家族だという気持ちの方が勝(まさ)っているせいかもしれぬ……。
決して三条の方に対する愛情が薄れていたわけではないが、すでに夫婦というより、太郎の父と母であるという思いの方が強くなっている。
当然、久しく閨(ねや)での睦事もなかった。
だが、息子の気持ちもわかり、弟をつくってやりたいとも思う。一門としても、惣領(そうりょう)にもう一人の男子が誕生することを望むはずだった。
――この身次第ということに違いない。だが、さほど簡単なことでもなかろう。睦事など考えるだけで、なんとも、照れくさいとしか言いようがないのだ。いつから御方とは、そうなってしまったのだろうか……。
そんな複雑に絡み合う思いを抱きながら、晴信は三条の方と三が日を同衾(どうきん)した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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