「その農夫どもをここへ進ませよ」 信方は物見頭に命じる。 「はっ!」 「四方に弓隊と槍隊を伏せ、いつでも取り囲めるようにしておけ」 下知を飛ばしてから、信方は兜(かぶと)を被り、緒を締める。 ――念のためだが、この具足姿を見れば謀叛人どもも観念するであろう。 己も薄暗くなった林の中に身を隠した。 すると、灯火も持たない一団が小走りで岐路に現れる。物見頭の報告通り、野良着に巻茣蓙を抱えた姿だった。 その眼前に、信方が立ち塞がる。林の暗がりから槍を携えた部下が躍り出て、大将の脇を固めた。 「かような時刻から灯(あか)りも持たず、山道をどこへ行くつもりだ?」 得物も手にせず、信方は腕組みをして仁王立ちになる。 鎧に身を固めた武者を眼の前にし、農夫と思しき一団は身を凍らせた。 「……へ、へえ、南部宿(なんぶしゅく)におります親戚に頼まれ、野良の仕事を……手伝いに行きますだ」 先頭にいた野良着が巻茣蓙を胸元に抱えながら答える。 「南部宿といえば、まだ、だいぶ登らねばならぬぞ。この辺りには落武者を狩る野伏(のぶせり)などもおり、灯りなしとは不用心すぎるのではないか?」 信方は薄く笑いながら訊く。 「……へえ。……ご忠告、ありがたく。……されど、どちらのお武家様で?」 「国境を預かる甲斐の奉行だ」 「えっ!?……されど、ここはまだ駿河の領内……」 隣にいた角張った顔の野良着が慌てて言葉を遮る。 「お、おめえ、何を言ってるずら。……おらたはこれからまず東の浅間(せんげん)神社にお参りに行くんでねえか。南部宿へ行ぐのは、まだまだ先のことずら」 「えっ、あっ……んだな、すんません」 先頭の野良着が頭を搔く。 「ふっ……」 猿芝居を見せられた信方が失笑する。 「浅間神社の宮司には北条家の息がかかっていると聞く。韮山(にらやま)の兵が来ているのではないかと思うが」 「……ま、まことで」 先頭の野良着が後ろを振り向いて声をかける。 「んだば、昏(くら)くなってきたことだし、いったんは戻るか」 「待て!」 信方が厳しい声を発する。 「さほど簡単に事は済まぬ。それがしは甲斐の奉行だと申したではないか。そなたらの荷物を検(あらた)めさせてもらわねばならぬ」 「……いや、ここは今川家の……」 「さよう。確かに、今川家の領内だ。されど、武田と今川は和睦し、この国境の奉行はわれら武田勢に任されることになったのだ」