連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志8 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……では、どうしても……どうしても甲斐へは逃がしてくれぬと?」
「甲斐へは、入れぬ。されど、捕縛されて駿府で晒(さら)し首にされるよりは、自害する方がましであろう。具足を捨てて農夫に化けたとはいえ、武士(もののふ)としての矜恃(きょうじ)まで捨てたわけではあるまい。潔く自害するというならば、武士同士の情けとして苦しまぬよう介錯(かいしゃく)し、手厚く葬ってもやろう」
 今川家への引き渡しは約束になかったが、「武士ならば潔く自害すべき」というのは信方の本音だった。
 そして、従わなければ討ち取るだけという覚悟も決めていた。
「……武士同士の……情け……ならば、ここを通せ! うおおおおぉ」
 先頭の野良着が刀を摑み、立ち上がろうとする。
「慮外者(りょがいもの)め!」
 そう叫びながら、信方は信じ難い疾(はや)さで佩刀(はいとう)を抜き、そのまま逆袈裟(ぎゃくけさ)懸けで斬り上げる。
「がぁ」
 首筋を斬られた野良着が夥(おびただ)しい血を撒(ま)き散らしながら倒れた。
 信方の一撃を合図に、四方から一斉に矢が放たれる。さらに、手負いになりながらも逃げようと足搔く者たちには、円陣となった足軽が槍衾(やりぶすま)を見舞った。 
 その場は一瞬にして血煙の修羅場と化し、骸(むくろ)の山となる。
「よし、止(や)めい! 充分だ!」
 信方は殺気立った兵たちを落ち着かせるために戦闘を止めた。
 荒い息を吐きながら、足軽たちが槍を引き、弓をおろす。
 宵闇の中に吹く微風が、生々しい血の匂いを里の方角へ運んでゆく。
 辺りの物音に聞き耳を立て、信方は人の気配を探る。しかし、目立った動きはなく、謀叛人の後続が潜んでいるような気配はなかった。
 ――さて、この後、どうするかだ。骸をこのままにしておくわけにはいかず、御屋形様の首実検を受けねば、役目が完遂したとはいえぬ。兵たちの褒賞のこともあるゆえ、首級(しるし)を取った後にここに埋めてやるとするか……。
 信方がそう思った刹那だった。
 骸の山から何かが動く。
 血溜まりの中から飛び出したのは、血塗(ちまみ)れの骸だった。
 いや、骸の振りをして伏せていた者が起き上がり、走り出したのである。
 一瞬、虚を衝かれ、兵たちは硬直したまま、その姿を見ていた。
 ――たまさか、矢と槍から逃れ、骸に紛れて逃げる機を窺っていたのか!?
 信方も驚きながら、駿河の方に逃げていく血塗れの野良着を眼で追う。
 ――一人ぐらい逃しても構わぬか。
 そんな思いが頭をよぎる。
 ――いや、それでは役目を果たしたことにならぬ!
 咄嗟(とっさ)にそう判断した。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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