「と、申されますと?」 「われら武士は戦場(いくさば)で敵の骸を始末したりはいたしませぬ。挙げた首級だけが、手柄の証。武田が手抜かりなく討伐を終えた証ならば、そちらがこの骸をお持ち帰りになればよいだけ。得物や具足は必要ありませぬゆえ、それを一緒に持ち帰れば、事足りると存じまするが」 「……なるほど。これは一本とられた。ははは」 雪斎は行人包の後頭部を叩きながら笑う。 「ならば、こうしていただけませぬか。この首級はそれがしが板垣殿から借り受ける。もちろん、借りであれば、いつか倍にして返さねばなりませぬ。そのつもりでお願いしておりますが」 「雪斎殿への貸し……。わかりました。こうして、お逢いできたのも何かのご縁であろう。それはお持ちくだされ」 「重ねて、かたじけなく。わが御主君にも首実検など覚えていただかなくてはなりませぬゆえ、助かりまする。これから、今川家と武田家は盟友となりますゆえ、借りはさほど遠からぬ日にお返しできると存じまする」 「承知いたしました」 「確か、板垣殿は信虎殿のご長男、武田晴信(はるのぶ)殿の傅役(もりやく)もなされていると聞きお呼びましたが」 「さようにござる」 「次にお逢いする時は、互いの主君を交えてということになりましょう。晴信殿にも、よろしくお伝えくだされ」 「義元殿にも。では、われらはこれにて失礼いたしまする」 信方は深く一礼する。それから刀の刃を返し、血の滴(しずく)を払う。 胸元から取り出した白布で拭ってから鞘(さや)に収め、踵(きびす)を返した。 その流麗な所作を、太原雪斎はつくり笑顔で見つめていた。 ――太原雪斎。思った通り、抜け目のなさそうな漢だ。されど、謀叛人の首ひとつ、わざわざ借りをつくることに何の意味があるのか? 信方は背中に今川義元の軍師の視線を感じながら思う。 ――わからぬ。ともあれ、あの首ひとつで、わが兵たちに余計な骸の始末をさせずに済んだことをよしとすべきであろう。 あえて相手の思惑を詮索することは止めた。考えれば考えるほど、雪斎の思う壺に嵌(は)まりそうな気がしたからである。 ――あくまで、貸しは、貸し。何かあった時のために、しかと覚えておく。 そう思いながら、信方は将兵たちに命じる。 「よし、これで討伐は完了だ。証の首級だけを持って戻るぞ」 こうして、今川家内訌(ないこう)の後始末という難儀な役目は終わった。 翌々日には新府へ戻り、主君に報告を行う。 信方は駿河領内での討伐について詳細を話したが、太原雪斎と首の貸し借りをしたことだけは黙っていた。己にも先方の意図が完璧には把握しきれておらず、余計な誤解を生みそうな気がしたからである。