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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志8 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 そして、十月になり、突然、御前(ごぜん)評定が招集された。
 重臣たちを前に、信虎は上機嫌で口を開く。
「先日、今川家が遣いを寄越し、当家との盟約を深めるため、どうしても縁(えにし)を結びたいと申し入れてきた。惣領の嫁に、於恵(おけい)を欲しいそうだ」
 於恵とは、信虎と大井の方の初子であり、晴信の姉だった。
 ほとんどの者が初耳であり、驚きを隠せない。今川との和睦から時を経ずしての縁組であり、あまりに性急な感が否めなかったからである。
「御屋形様、恵姫様の御婚儀の話を初めてお聞きし、この常陸めも驚いておりまする」
 どうやら家宰の荻原昌勝にも事前の相談はなかったらしい。
「して、御屋形様の返答はいかに?」
「すでに豪勢な結納の品も届いており、そこまで礼を尽くしてくるならば、余としても無下(むげ)に突き放すことはしまい」
「恵姫様のお気持ちは?」
「家同士の婚儀に娘の気持ちなど関係あらぬ」
「はあ……」
 昌勝は顔をしかめ、頭を搔く。
 すべては信虎の独断で進められているようだ。
「於恵もちょうどよい年頃だし、相手も同歳(おないどし)らしい。年明けには、輿入(こしい)れの運びとなろう」
 恵姫はこの年で齢十八となっており、相手の今川義元も齢十八だった。
 主君の話を聞きながら、信方は太原雪斎の顔を思い出していた。
 ――間違いなく、あの漢の差し金だ。目的を完遂するためならば、あらゆる搦(から)め手を使うてくるということであろう。
「さらに、話はこれだけで終わりではない」
 信虎は言葉を続ける。
「当家から嫁を迎える代わりに、勝千代の婚姻を仲介したいと申し入れてきた。相手は京の権大納言(ごんだいなごん)、転法輪三条(てんぽうりんさんじょう)公頼(きんより)殿の次女で、婚儀に関わる手配りはすべて今川で行ってくれるということだ。転法輪三条家といえば、朝廷で最上位の摂家(せっけ)に次ぐ清華(せいが)家のひとつゆえ、父親はいずれ大臣の職に就くであろう。どうだ、勝千代。公卿(くぎょう)の娘ならば、継室に不足はあるまい」
 父から婚儀のことを告げられたのは、この時が初めてだった。
 晴信は信じ難いという面持ちで、思わず傅役の方を見てしまう。信方は黙って深く頷いてみせた。
「……有り難き……仕合わせにござりまする」
 両手をつき、晴信は深々と頭を下げる。
「うむ。そこでだ」
 信虎は脇息(きょうそく)に凭(もた)れかかりながら口唇の端で笑う。
「京から嫁を迎えるにあたり、武門の男子が初陣も済ましておらぬのでは、当家の面目も立たぬ。勝千代、年内に一戦(ひといくさ)構えるゆえ、そこで手柄のひとつも立ててみよ。京女の尻に敷かれぬようにな」
「畏まりましてござりまする! 重ねて、有り難き仕合わせ!」
 晴信は即答する。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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