「弓を貸せ!」 隣で立ち竦(すく)んでいた弓箭手(きゅうせんしゅ)から重籐(しげとう)の弓を奪い、素早く空穂(うつぼ)から矢を抜いて番(つが)える。 すっと息を止め、狙いを定めて矢を放つ。 かしゅ! 乾いた音を立て、放たれた矢が宵闇を切り裂き、走る野良着の太腿を貫く。 「うぎゃ!」 悲鳴を上げ、血塗れの野良着が倒れた。それでも、再び立ち上がって逃げようとする。 弓を戻した信方が走り出し、佩刀を抜いて謀叛人を追う。 「介錯いたす! 御免!」 信方の刀が旋風となりながら、起き上がった野良着の首筋を襲う。 骨断の鈍い音が響き、謀叛人の首が前方へ飛んでいく。残った軆(からだ)が血を振りまきながら再び地面に倒れた。 ――しまった! 介錯として首の皮を残してやるつもりだったのに、力が入りすぎた! 正座して自害する武士が苦しまないように介錯してやる時、一刀で首の骨を断つのが手練(てだれ)の流儀である。首の皮とわずかな肉を残して項垂(うなだ)れたような姿を留めてやるためだった。 しかし、昂奮のために力が入りすぎ、信方は相手の首を刎(は)ねてしまった。 そして、その首が転がった辺りに、突然、人影が現れる。 「実に見事なお手際。この者もさして苦しまずに逝けたでありましょう」 宵闇に紛れた影が、転がった首の茶筅髷(ちゃせんまげ)を摑んで拾い上げる。 「されど、武田の方々にしては、少々深く駿河に入りすぎではありませぬか?」 「なにゆえ、武田の者だと思うか?」 信方は嗄(しわが)れた声を発する影を睨(ね)め付けながら問う。 「鎧の胸板にほれ、立派な武田菱(びし)が」 その影が言ったように、信方の胸元には確かに四つ割り菱ともいわれる武田家の家紋が入っている。 「先ほどから、ずっと、われらの様子を窺(うかが)っていたのか?」 信方の声色から、後方にいた兵たちが一斉に得物を構え直す。 「おっと、われらは敵ではありませぬ。おい、松明(たいまつ)をつけよ」 その命を受け、後ろにいた武者が火縄で油をしみ込ませた松明を灯す。 それを受けとった影が、己の具足の胸元を照らす。 ――二引両(ふたつひきりょう)!……今川家の者か。 相手の紋が今川家のものであると確認する。 「ここまで深く駿河へ踏み込む度胸。素早く容赦のない討伐。そして、あの弓の腕前と太刀捌(たちさば)き。どれをとっても、お見事としか言いようがありませぬ。さすがは、武田家の剛将。とあらば、そなたが武田信虎(のぶとら)殿の御下命を受け、こたびの役目を果たしにこられた板垣(いたがき)駿河守(するがのかみ)殿とお見受け致しましたが」 「それを申す、そなたは、長らく武門にいる方とは思えぬ。その行人包(ぎょうにんづつみ)が、あまり具足が似合うておらぬゆえ」 信方は松明に照らされた相手の姿を見ながら答える。