突然の出来事ばかりで戸惑いがなかったわけではないが、晴信と信方にとっては待ち望んでいた初陣に違いなかった。 ――他家の内訌の後始末という汚れ仕事が報われた! 信方もこぼれそうになる笑みを抑えながら思う。 ――初陣で手柄を立て、御継室を迎えるとなれば、若に対する家中の見方も変わってくるはずだ。 だが、晴信の初陣と聞き、微かに眉をひそめた者もいる。 家宰の荻原昌勝と陣馬(じんば)奉行の役目を預かる原(はら)昌俊(まさとし)だった。戦となれば、様々な手配りの責任を負う二人である。 特に、家内の全般に目配りをしなければならない荻原昌勝は、「今川との和睦を機にしばらく合戦を控えたい」という意向を持っていた。国内疲弊と困窮を見れば、兵糧不足の武田家が勇んで戦へ出張るのは決して得策ではない。 同じように、作陣を取り仕切る原昌俊も、新たな戦の支度はかなり困難だと思っていた。 しかし、信虎がいったん戦を口にすれば、止めようがないのも事実だった。 「御屋形様、晴信様の御初陣という仰せにござりましたが、いよいよ諏訪攻めと相なりまするか?」 荻原昌勝は己の本心を殺しながら、あえて笑顔で訊く。 今川と望外の和睦が成立してから、家中の誰もが次の戦いは西の諏訪になるだろうと思っていた。 新たな戦を起こすことは大きな負担となるが、戦勝の利得どころか、終熄(しゅうそく)の形さえ見えなかった今川、北条との戦いに較べれば、諏訪頼満(よりみつ)との戦いは勝算が立ちやすかった。 相手の兵力もさほど大きくなく、諏訪を制した後の利得は大きい。 諏訪大社を中心とする諏訪平は、信濃における交通の要衝であり、各地から諏訪参りに訪れる旅人の落とし銭も多かった。盆地で作られる農産物や諏訪湖の水産物に加え、三州(さんしゅう)街道と東山道(とうさんどう)の合流点である塩尻宿(しおじりしゅく)が近いことにも大きな利得がある。 塩尻はその名の通り、北陸道で上がる北塩と東海道で上がる南塩の集積地であり、塩の道と呼ばれる三州街道と東山道が交差する場所なのである。海塩の採れない内陸の甲斐にとって、塩尻は重要な拠点のひとつだった。 このように理詰めで考えれば、武田家にとって最も利得の見えやすいのは、おのずと諏訪平を制する戦という結論に至る。つまり、諏訪頼満との和約を破棄し、即刻攻め入るということだ。 しかし、信虎は意外な返答をする。 「頼満との戦は、考えておらぬ。しばらく和睦も破棄せぬであろう」 主君の答えを聞き、家臣の全員が驚いた。