第七章 新波到来(しんぱとうらい)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「勝手な真似とは、心外だ。西上野の攻略は、この身にお任せいただいたはずだ」
義信は怒りを滲(にじ)ませる。
安中城と松井田城の攻略は、誉(ほ)められこそすれ、父の怒りを買う謂(い)われは微塵(みじん)もないと思っていたからだ。
「昌世、そのことはそなたも存じているであろう。西上野のことは任せると、そなたの前で父上は申されたではないか」
「確かに……。されど、さように申されましても、それがしには如何ともし難く。とにかく、一刻も早く、府中へお戻りを」
その言い方が事態の切迫を物語っていた。
それを感じ取り、義信が黙り込む。
しばらく怒りを抑えるように気息を糺(ただ)していた。
やがて、溜息をつくように呟く。
「……仕方が……ないか」
義信の言葉を聞き、昌世が安堵(あんど)の息をこぼす。
「義信様、御屋形様は兵部殿もご一緒に、と」
「さようか。……兵部には、それがしから事の次第を伝え、一緒に戻る」
「よろしく、お願い申し上げまする」
曽根昌世は深々と頭を下げた。
突然のことに戸惑いながらも、義信は飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)と一緒に国峯城から甲斐の府中へ向かう。
躑躅ヶ崎館に到着し、二人は神妙な面持ちで信玄を待った。
大股で広間に入ってきた信玄の右眼は、黒い眼帯で覆われている。
少し前から目瘡(めがさ)を患い、当初は単なる物もらいだと思っていた。
しかし、急に眼球が充血し始め、瞼(まぶた)も大きく腫れ、刺すような痛みが走るようになった。
甲斐の薬王寺(やくおうじ)と慈眼寺(じがんじ)に平癒祈願を依頼したが、なかなか快方に向かわず、眼病は長引いていた。
信玄の不機嫌そうな顔を見て、思わず飯富虎昌が首を竦(すく)める。
――御屋形様がお怒りになられている時の御顔だ……。眼病の痛みと慣れぬ隻眼での暮らしのせいで、御屋形様のお苛立(いらだ)ちがいつもより激しいのやもしれぬ。これは、まいった……。
主君の気性をよく知る重臣ならではの見立てだった。
「父上、お呼びにより、急ぎ戻ってまいりました」
義信が深く頭を下げる。
「義信、直入に訊ねる。なにゆえ、余に断りもなく、勝手に碓氷郡へ兵を出した?」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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