第七章 新波到来(しんぱとうらい)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
越後勢は七月末に春日山(かすがやま)城を出立したらしく、突如として善光寺平(ぜんこうじだいら)に現れ、八月三日には犀川(さいがわ)を渡って篠ノ井(しののい)に布陣する。
「まったく、懲りぬ奴ばらよ」
信玄は呆(あき)れたように吐き捨てた。
「信濃での決着は、とうについておろう。輝虎、今さら、うぬの挑発には乗らぬ」
上杉輝虎を完全にいなすつもりでいた。
それでも、信濃出陣の支度が始められる。
そんな中、海津(かいづ)城の武田勢を睨みながら、越後勢は篠ノ井の小田切(おだぎり)館を本陣として動かず、まるで武田の本隊を待つような素振りだという続報が届けられる。
どうやら、飛騨における江馬時盛と姉小路良頼の戦いに、武田家が介入したことに対して業を煮やしたらしく、そちらへも援軍を送っていた。
もちろん、上杉輝虎が関東へ出張っている間に、信玄が仕掛けた数々の策にも怒っていたらしい。
悠々と軍勢をまとめた信玄は、八月の中旬に善光寺平へ到着したが、あえて距離を取るように最南端の塩崎(しおざき)城へと入る。
――もしも、兵を寄せれば前回の如き死闘を免れぬであろう。すでに信濃での勝負はついており、輝虎の足搔(あが)きに付き合う気はない。海津城が危うくなるならば、兵を進めればよい。
そのように考えていた。
ところが越後勢も動かない。
敵方にも死闘は避けたいという思いがあるらしく、不用意に兵を押し出すことはなかった。
結局、両軍は二ヶ月もの間、篠ノ井を挟んで睨み合う。
しかし、直接の戦闘もなく、十月になって越後勢が兵を退いた。
「ただ兵粮の無駄遣いであったな」
信玄は真田幸隆に愚痴をこぼす。
「まったくにござりまする。人騒がせな」
「されど、越後とはそれほど兵粮が潤沢なのか?」
「確かに、米の産地でありますが、無尽蔵ではありますまい」
「輝虎の酔狂に付き合わされる家臣どもは、たまったものではないな。まあ、そのおかげで、こちらへ寝返る者が出てくるのだがな」
信玄が皮肉な笑みを浮かべる。
武田勢が上杉輝虎をいなす形で、五度目の川中島合戦は終わっていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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