よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「心得ました」
「人集めも粛々とな」
「お任せくださりませ」
 この翌日から、義信のための寄合、学びの会を準備するために、長坂昌国が奔走し始めた。
 暦は永禄(えいろく)七年(一五六四)六月になり、武田家にとっても看過できない報告が届く。
 今川家の東三河の拠点であった吉田(よしだ)城が落城し、ついに三河国から今川方の勢力がすべて駆逐されてしまったのである。
 信玄が最も警戒していた出来事だった。
 この影響で、遠江においても今川方の国人衆に動揺が広がる。
 井伊谷(いいのや)の井伊直親(なおちか)、曳馬(ひくま)の飯尾(いのお)連龍(つらたつ)、見付(みつけ)の堀越(ほりこし)氏延(うじのぶ)、犬居(いぬい)の天野(あまの)景泰(かげやす)らによる離反の連鎖がおき、遠江に激震が走った。
 まさに信玄が予見した通り、今川家は一気に求心力を失い、これが後に「遠州忩劇(えんしゅうそうげき)」と呼ばれる崩壊の序曲となった。
 すぐに馬場(ばば)信房(のぶふさ)を呼び、出兵を命じる。
「民部(みんぶ)、今川家が完全に三河を失った。このままでは遠江も保たぬであろう。われらも兵を動かさねばならぬ」
「遠江へ出張りまするか?」
「いや、その前に飛騨だ。信友(のぶとも)を派遣し、飛騨の江馬時盛に加勢させよ」
 信玄は飯田(いいだ)城にいる秋山(あきやま)信友(虎繁〈とらしげ〉)を援軍の将に指名する。
「姉小路良頼を一気に打ち破ると?」
「さようだ。まずは飛騨に楔(くさび)を打ち込んでおく。遠江はその後だ」
「承知いたしました。すぐに手配りいたしまする」
 馬場信房が支度に走った。
 東海道の状況を睨みながら、信玄は飛騨の江馬時盛に援軍を送り、敵対する姉小路良頼を西の奥飛騨へ追いやった。
 そんな中、耳を疑うような一報が飛び込んでくる。
『上杉輝虎、再び川中島(かわなかじま)に現る』
 信濃から狼煙(のろし)の連係で甲斐の府中に届いたのは、その報告だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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