第七章 新波到来(しんぱとうらい)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「話は仕舞だ!」
扇を握り締め、信玄が立ち上がる。
「二人とも頭を冷やすために、しばらく謹慎しておれ!」
それだけを言い残し、広間を後にした。
義信は両手を握り締め、俯いていた。その拳が小刻みに震えている。
「……若、御屋敷へ戻りましょう」
飯富虎昌が両肩に手を添え、退出を促す。
二人は無言のまま、府中にある義信の屋敷に向かった。
居室に入り、義信が苦吟を漏らす。
「……これほどまでに、父上がお怒りだったとはな」
「若、申し訳ござりませぬ。報告を怠りましたそれがしの責任にござりまする」
飯富虎昌が申し訳なさそうに頭を下げる。
「されど、城攻めの機は間違っていなかったと確信しておりまする。ただ、われらが報告を忘れたというだけで……」
「いや、確かに眼前の戦いしか見えていなかった。甘楽郡の攻略が順調すぎて、少し増長していたのやもしれぬ」
義信は自嘲を口にする。
「……己が歯痒(はがゆ)くてたまらぬ。北条(ほうじょう)家では氏康(うじやす)殿が四年も前にご隠居なされ、氏政(うじまさ)殿が立派に惣領(そうりょう)を務められており、今川家は敗死という不幸に見舞われながらも、氏真殿が跡継ぎとして立っておられる。本来ならば、父上が入道なされた時に御隠居なさってもおかしくはあるまい。されど、さような気配は微塵もなかった。それほど、この身は未熟で、頼りないというのであろうか。不甲斐ない……」
悔しさのせいか、義信はうっすらと目尻を濡らしている。
「若……」
「されど、こたびのことで己の欠点がよくわかった。これからは、もっと視野を広く持たねばならぬ。戦に勝つだけでは、一門を率いてはいけぬであろうし、老獪(ろうかい)な策も身に付けねば。父上の申されたことは、至極ごもっともだとは思う……」
しばらく押し黙ってから、義信は声を絞り出す。
「……しかれども、今川家の件に限ってだけは、どうしても得心できのだ」
「御屋形様も若のお気持ちは痛いほどわかっておられましょう。その上で、あえて厳しいことを仰せになられたのだと思いまする。一門の惣領とあらば、時には情を殺さねばならぬこともあるのだ、と」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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