よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「黒川(くろかわ)の金掘衆が水の手を断った城攻めにござりまするな。あれで一気に籠城の士気が崩れました。こたびも松山城の水の手を狙う策を講じると」
「それだけではない。金掘衆の真骨頂は掘り出した土の使い方にある。坑道から出た土を利用し、土塁や堤など様々なものを造ることができるのだ。竜王鼻(りゅうおうばな)の堤防も、かの者らが築いたのだからな」
 金掘衆とは、領内の金山で採掘を行っている山師の集団であり、金山(かなやま)衆とも呼ばれている。
 山師たちの掘削技術は鉱石を採取するだけはでなく、治水や街道の整備など、土木工事にも生かされ、実際、竜王鼻の堤防造りや棒道(ぼうみち)の整備に尽力してきた。
 それだけではなく、金掘衆は工兵として城攻めなどの合戦にも加わり、坑道を掘るなど特異な能力を発揮している。黒川や中山(なかやま)などの金山経営が盛んな甲斐ならではの人材だった。
「段丘に築かれた城門や城壁ならば、その下を掘り進んで抜けるまでよ。こたびは黒川と中山の金掘衆を随行させよう」
 信玄は不敵な笑みを浮かべた。
 それから数日して、高遠城を出立した諏訪勝頼の伊那(いな)勢が甲斐の府中に到着する。
「諏訪勝頼、ただいま参上仕りました」
「ようまいった。待っておったぞ、勝頼」
 信玄は若武者姿の凛々(りり)しい息子を眩(まぶ)しそうに見る。
「まずは初陣の儀だ。しっかりと御先祖様に挨拶をせよ」
 緊張した面持ちの勝頼を伴い、館の御霊舎(みたまや)へ向かった。
 そこでは出陣の支度を調えた家臣たちが勢揃(せいぞろ)いし、初陣の儀を待っていた。
 待機していた神人(じにん)の大幣(おおぬさ)で左右左(さうさ)の祓(はら)えを受けてから、勝頼は床几(しょうぎ)に腰掛ける。
 やがて、初陣の勝利を願う厳かな祝詞(のりと)が響き始め、その朗誦(ろうしょう)が終わると、引き続いて三献(さんこん)の儀が行われた。
 「打ち、勝つ、喜ぶ」を表す縁起物である打鮑(うちあわび)、勝栗(かちぐり)、結昆布(むすびこんぶ)を食しながら、白い土器の三重盃(さんじゅうはい)を使って三献を飲み干すのである。
 信玄はその様子を慈愛に満ちた眼で見ていた。
 ――今でも己の初陣の時をありありと思い出せる。あの時の緊張も……。勝頼もさぞかし軆(からだ)が強(こわ)ばっていることであろう。
 そして、儀式の最後が、御旗(みはた)と楯無(たてなし)への拝礼(はいらい)である。
「御旗楯無も御照覧あれ」 
 勝頼は何度も練習した通りに、天津神(あまつかみ)と国津(くにつ)神に見立てた先祖伝来の宝物に八度拝八開手(はちどはいやひらて)を捧げた。
 すべての儀をこなし、粗相がなかったことに安堵(あんど)し、やっと笑顔になる。
「弾正、やはり御旗楯無は比類なき御宝物であるな」
「まことに」
 保科正俊が頷く。
「間近で見た時は、神気が纏(まと)わりついているような気がし、自然と身が震えてしまった」
 勝頼は昂奮を隠せない様子で言った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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