よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「元清、どのくらいで敵の番兵を片づけられそうか?」
 蛇若の問いに、乱破頭の出浦元清が鼻で笑う。
「半刻(一時間)もかからずに始末できるさ」
「その言葉を忘れるなよ。われら透破は半刻後に有無を言わさず城内に入るからな」
「お頭、虎口の番兵を始末した後、惣曲輪を制圧しても構いませぬか」
「大した自信だな、元清。それは願ってもない話だ。そなたらが主だった敵将兵を始末したならば、朝方には足軽隊を入れるとしよう」
 跡部信秋は不敵な笑みを浮かべる。
「お任せくだされ」
 出浦元清が頭を下げた。 
 この日の夜更け過ぎ、丑(うし)の刻(午前二時)頃、約束通りに金掘衆が支道を掘り終える。朧(おぼろ)がかった三日月の下、虎口近くの城壁際に忽然(こつぜん)と黒い穴が出現した。
 それがみるみるうちに広がり、中から黒い影が飛び出す。黒装束と黒覆面に身を包んだ出浦元清であり、それに続いて手練(てだれ)の乱破衆が次々と地上に現れた。
 元清が率いる乱破衆は闇に紛れて音もなく移動し、虎口近くにいた敵の番兵に忍びよる。背後から喉元を搔き切り、あっという間に仕物にかけた。
 二十数名の乱破衆がその要領で敵兵を始末し、虎口付近を制圧するまでには四半刻(三十分)もかからなかった。
 それから少し遅れて蛇若が率いる透破衆が穴から抜け出し、虎口の城門を開く。その後、散り散りになり、城内の水の手を探りにいった。
 乱破衆は惣曲輪に忍び込み、何も知らずに眠りこける将兵たちを仕物にかけた。
 金掘衆と三ッ者(みつもの)の連繋(れんけい)は完璧に機能し、払暁(ふつぎょう)を待たずに北の虎口から武田の足軽隊が城内になだれ込む。
 一連の出来事は、本陣で寝ずに報告を待っていた諏訪勝頼に伝えられる。
「よし! そのまま惣曲輪を制圧し、そのことを氏政殿へ伝えよ!」
 勝頼は側近の跡部重政(しげまさ)に命じる。
「はっ! すぐに北条本陣へ向かいまする」
 跡部重政は東側に布陣している北条氏政のもとへ走った。
 迎えた二月三日の朝、城内の井戸を使った敵の城兵が次々と泡を吹いて倒れる。そのことを知った城将の上杉憲勝(のりかつ)は初めて敵によって水の手が断たれたことを悟った。
 さらに北の虎口に抜穴が掘られ、惣曲輪が武田勢によって制圧されたことを聞き、心底から震え上がる。そんな奇襲をまったく予想していなかったからだ。
 すかさず北条氏政から「無血で開城し、降伏するならば命だけは助ける」という勧告が届けられる。
 永禄六年(一五六三)二月四日、観念した上杉憲勝は味方の援軍を待たずに降伏、北条氏政の情けにすがって無血での開城に応じた。
 この時、上杉輝虎は松山城の救援のために坂東へ出陣し、武蔵国の石戸(いしと)城まで出張ろうとしていたのである。
 しかし、戦わずして降伏した松山城のことを聞き、激怒した輝虎は人質となっていた上杉憲勝の息子を「斬り捨てよ」と命じたという。
 北条家と武田家の連合軍はまったく損害もなく、武蔵の要衝、松山城を奪取する。
 両家の軍勢は勝鬨(かちどき)を上げた後、松山城の本丸に入り、祝盃を上げた。
「勝頼、よくやった。氏政殿と存分に勝利の盃(さかずき)を交わしてくるがよい」
 信玄が上機嫌で言う。
「父上、それがしは……」
 勝頼は自分の采配で合戦を制したという実感がなかった。
 すべては父から与えられた勝利であり、己は何もしていなのではないかという思いが心の片隅にあった。
「これも戦のひとつの姿だ。色々な思いはあろうが、今は素直に勝利を喜ぶがよい。それが総大将のあるべき姿であろう。それを見て、初めて家臣たちも心置きなく吞(の)めるのだ。さあ、氏政殿の隣へまいるがよい」
 信玄は優しげな眼差(まなざ)しを息子に向ける。
「……わかりました」
 勝頼は小さく頷いてから、北条氏政が待つ上座へ向かう。
 こうして、諏訪勝頼の初陣は完璧な勝利で終わった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number