よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 信玄が氏康と会うのは、関東管領(かんれい)となった上杉政虎が坂東(ばんどう)勢を率いて小田原城へ攻め寄せた折、援軍に駆けつけた時以来である。
 まさに四度目の川中島合戦が行われた永禄四年(一五六一)のことであり、ほぼ二年ぶりの再会だった。
「左京大夫(さきょうのたいふ)殿、息災で何より。地黄八幡(じきはちまん)殿もご一緒とは頼もしい限り」
 信玄は氏康の隣に立つ偉丈夫、北条綱成に笑顔を向ける。
「こたびの援軍、まことに感謝いたしまする」
「われらの総大将は、倅が務めまする。勝頼、ご挨拶を」
 信玄に促された勝頼は、北条家の重鎮に臆すまいと背を伸ばして胸を張る。
「諏訪刑部大輔、勝頼と申しまする。こたびの采配を預かりましたゆえ、粉骨砕身、与力させていただきまする。今後とも、よろしくお願いいたしまする」 
 若々しい声を発し、深く頭を下げた。
 氏康と綱成は、初々しい若武者を黙って見守っていた。
「父上……」
 北条氏政が歩み出る。
「……武田家の方々を宿所にご案内し、ひと息ついてから、合同で評定を行いたいと存じまする」
「すべては、そなたに任せる」
 氏康は嫡男の立場を尊重し、子細を委ねる。
「承知いたしました。御二方を宿所へご案内いたしまする。どうぞ、こちらへ」
 氏政は信玄たちを宿所となる二の丸へ案内した。
 それから一刻(二時間)ほどして、本丸大広間で両家の重臣が集まり、合同の軍評定(いくさひょうじょう)が開かれる。
 大広間奥の大上座はあえて空席とされ、両家は上下に分かれて対面する形となったが、北条氏政は援軍に対する敬意を表して武田家に上座を譲っていた。
 冒頭で氏政から松山城攻めに関する北条家の陣容が語られる。
「……すでにわれらの兵三万が松山城に向かっており、明日には城方の退路を塞ぐ手筈(てはず)になっておりまする。残るは北条の本隊一万と与力をいただいた武田家の一万余が敵城へ向かうだけの手筈となっておりまする。われらの四万に加え、武田家の旗印が見えれば、敵方も降伏を考えざるを得まいと。こたびは何としても松山城を開城に追い込むつもりにござりまする」
 松山城の敵兵は多く見積もっても三千余であり、武田勢を加えた五万の兵で囲むのは必勝の態勢だった。力攻めでも短期間に充分に落城を狙える兵力差である。
 しかし、北条氏政は敵方に最大限の圧力をかけ、明らかに無条件での降伏を狙っていた。
 それは同時に、援軍の武田家に最も負担をかけずに済む策でもあり、それはある意味、武田の援軍が北条勢と一緒に城を囲み、その旗印を敵方に見せつけるだけで役目が済むという意味だった。
 つまり、武田家が武蔵に駆けつけたということだけで、敵方が震え上がるということである。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number