よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「虎口の辺りの土塁を見ましたが、金山の岩盤とは比べものにならぬぐらいの柔土(やわつち)にござりまする。まずは土塁の麓から主道を掘り上がり、虎口の向こう側に抜ける支道を造りまする。本隊はそのまま主道を掘り続け、敵城の内側まで進むつもりにござりますが、支道を通すまでならば、丸二昼夜もいただければ可能ではないか、と。のう、清衛門(せいえもん)殿」
 望月善左衛門は黒川の金掘頭、田辺(たなべ)清衛門(せいえもん)に同意を求める。
「中山と黒川の者を四番編制にいたし、昼夜交替で休みなく掘れば、よほど大きな岩にでも突き当たらぬ限り、そのぐらいでやり遂げてみせまする。お任せくださりませ」
「さようか。それは頼もしい」
 勝頼は満足そうに頷く。
 その隣に控えていた跡部信秋が進言する。
「勝頼様、虎口の内側に通じる支道ができましたならば、すぐに透破と乱破(らっぱ)を放ち、開門を行い、城の水の手を探しまする。善左衛門、支道は大層なものではなく、人一人が這(は)いつくばって進める程度でよいぞ」
「伊賀守様、もっと良いものを造って差し上げます」
 望月善左衛門は自信をもって答える。
「父上、いかがにござりまするか?」
 勝頼は後見役の信玄に確認する。
「勝頼、こたびの総大将はそなただ。他人の意見を気にする必要はない、やりたいように進めてみよ」
「有り難き仕合わせ。では、これより城攻めにかかる。各々、油断なきように」
 諏訪勝頼は坑道掘鑿の開始を命じた。 
 中山と黒川の金掘衆が四組に編制され、三刻(六時間)ごとの交替で昼夜休みなく、虎口脇に聳(そび)え立つ土塁を麓から掘り進める。
 基本は鑚(たがね)、穿鎚(つち)、金鋤(かなすき)、平鍬(ひらぐわ)などを使う手掘り作業であったが、振矩師(ふりがねし)という測量を担当する者の指示で、高さ六尺(約一・八メートル)、幅四尺(約一・二メートル)の坑道が恐るべき早さで造られていく。
 日頃から岩盤を掘ることになれている金掘衆にとっては、土塁を掘り進めるのは豆腐を崩すが如(ごと)き作業であり、最初の一昼夜で十二間(約二十一・六メートル)もの斜め縦坑ができあがる。
 掘鑿が続けられる間、足軽衆が丸太を枡(ます)形に組み、これを坑道に運び入れ、天井の強度を補完した。
 こうした作業の進捗は、勝頼の使番(つかいばん)から北条氏政へ刻々と伝えられる。
 北条勢もそれに負けじと、三方から空堀や土塁に梯子(はしご)をかけ、城攻めの足場を造っていた。
 二日目の午後に、虎口の脇まで斜め縦坑が到達したと振矩師が判断し、支道が掘り始められる。夜更け過ぎになれば、虎口の内側に到達できるという見込みだった。
 それを聞いた跡部信秋はすぐに透破頭の蛇若(へびわか)と乱破頭の出浦(いでうら)元清(もときよ)を呼ぶ。
「夜更け過ぎに抜穴が虎口の内側に到達する。元清、そなたは手下を連れ、その抜穴から城内へ忍び込み、付近にいる番兵をすべて仕物(しもの)にかけよ」
「承知いたしました」
「元清が仕事を終えたならば、蛇若、そなたが手下と水の手をすべて探り出せ。されど、こたびは死に至る毒は使うな。すべての井戸に痺れ薬を撒(ま)き、城方の者を驚かせるだけでよい」
「御意!」
 透破頭の蛇若が頭を下げる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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