第七章 新波到来(しんぱとうらい)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「箕輪の周辺では長野業正を秘喪とし、この件をひた隠しにしているが、いつまでも人の口に戸は立てられぬ。すでに業正が死んでから一年近く経っているらしい。それゆえ、われらが吾妻で羽根尾城と岩櫃城を攻めたとしても、箕輪衆は援軍を送ることはできぬと読んでいる。もちろん、上杉輝虎の救援は、なおさら無理であろう。いま北条家が厩橋城を脅かそうとしているからな。まさに、千載一遇の好機だ。これを逃す手はなかろう」
自信に満ちた面持ちで、真田幸隆が言い切った。
鎌原幸重、浦野重成、大戸重俊が大きく頷いた。
「まずは羽尾道雲の動向を探り、隙があればすぐに攻め寄せる。それゆえ、そなたはいつでも羽根尾城を挟撃できるよう、支度を調えておいてくれ」
「承知いたしました」
三人が同意する。
この会合があったのは、五月末のことだった。
それから真田の忍び衆たちが羽根尾城に張りつき、羽尾道雲の身辺を密かに探る。そして、六月に入り、道雲が万座(まんざ)の温泉に湯治へ出かけるという情報を掴んだ。
真田幸隆はそれを聞き、すぐさま羽根尾城攻めを決意する。
――道雲が城を出たならば、一気に攻め落とす!
忍びたちの報告通り、六月末に羽尾道雲の一行が城を出て、万座へと向かう。
その日の夜、幸隆は鎌原幸重、浦野重成、大戸重俊らを率いて羽根尾城を囲む。主(あるじ)が不在の城を力攻めし、一気に落としてしまった。
その一報を万座の温泉で聞いた羽尾道雲は、わずかな側近に守られ、岩櫃城の斎藤憲広を頼る。
これにより、真田勢は鎌原の一帯を固め、周囲の土豪たちを次々と調略した。
しかし、岩櫃城の斎藤憲広と羽尾道雲は反攻に出る術もなく、ただ臍(ほぞ)を噬(か)んでいた。
その後、真田幸隆は何度か岩櫃城に使者を出し、斎藤憲広に武田家に降(くだ)るよう勧告したが、答えを避けて沈黙を続けるだけだった。
ところが、思わぬところから反応がくる。
なんと、斎藤憲広に冷遇されていた甥(おい)の斎藤憲次(のりつぐ)が内応してきたのである。
『もしも、武田家が岩櫃城を攻めるならば、己は恭順の意を示し、城門を開ける所存にござりまする』
それが斎藤憲次の申し入れだった。
真田幸隆は相手の真意を計るために何度かやり取りを重ねたが、憲次が斎藤憲広に冷遇されていることは確かだった。
――岩櫃城はこれまでの城とは違い、容易(たやす)く落とせるものではない。確かに、城の内側から応じてくれる者たちがいれば、損害を少なく落とすことができるやもしれぬ。……いや、斎藤憲次の寝返りは必須。
幸隆は深く己の思案に沈む。
岩櫃城は天険の峻峰(しゅんぽう)、岩櫃山の尾根に造られた牙城であり、その眼下には荒々しく蛇行する吾妻川が流れている。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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