よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   八十三

 道具衣(どうぐえ)に身を包んだ三人の僧が躑躅ヶ崎(つつじがさき)館へと向かっていく。
 その者たちは頭に烏帽子(くろまうす)と呼ばれる黒い頭巾を折り畳んでのせ、身には紗布衫(しゃふさん)という麻地の下襲(したがさね)をつけ、直綴(じきとつ)の飾り紐(ひも)のある袖丈の長い法服(ほうぶく)を着ている。
 茶渋色の法服の上には、巷(ちまた)で大袈裟(おおげさ)と呼ばれる金襴(きんらん)の九条(くじょう)袈裟を纏(まと)っていた。
 道具衣とは高僧だけが身につけることのできる礼装であり、官制の法服に準じたものである。
 館へ入ったのは、美濃大圓寺の希菴玄密、尾張政秀寺の沢彦宗恩、そして、甲斐長禅寺(ちょうぜんじ)の春国(しゅんこく)光新(こうしん)という面々だった。
 いずれも各国随一の臨済宗妙心寺派の僧たちである。
 その三名を、近習(きんじゅう)の真田(さなだ)昌幸(まさゆき)が出迎えた。
「遠路遥々(はるばる)、ご苦労様にござりまする。御屋形(おやかた)様がお待ちになっておられまする。こちらへどうぞ」
 主君の待つ大広間へ賓客を案内する。
 そこではすでに信玄と長坂(ながさか)光堅(みつかた/虎房〈とらふさ〉)、駒井(こまい)政武(まさたけ)らの重臣が待っていた。
 その正面に三人が着座し、希菴玄密が口上を述べる。
「本日はお忙しい中、機山(きざん)信玄様の御尊顔を拝見することができ、まことに恐悦至極にござりまする。また、拙僧の知己であります政秀寺の沢彦宗恩殿に御拝謁をお許しいただき、まことに有り難うござりまする」
「尾張政秀寺の沢彦宗恩にござりまする。こたびは御拝謁の機会をいただき、まことに恐悦の極みにござりまする。今後とも、お見知りおきのほど、よろしくお願いいたしまする」
 沢彦宗恩が両手をついて一礼する。
 もう一人の春国光新は、信玄の恩師であった岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)の一番弟子であり、元伯の没後に長禅寺の二代目管主を嗣いでいた。
 ―─三郎(さぶろう)信長は「尾張のうつけ」と聞いていたが、この面々を遣わして威儀を糺(ただ)してくるとは、なかなか侮れぬな……。
 信玄が三人の立派な僧形(そうぎょう)を見渡してから口を開く。
「玄密殿、先日は大変お世話になりました」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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