よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「御屋形様……」
 長坂光堅が口を挟む。
「なんであるか、釣閑斎」
「今川家との関係は単純なものではなく、北条家との今後を含めたものと存じまする。それに今川家とは織田と比べものにならぬくらい深い縁がござりまする」
「心配いたすな。勝頼の縁組がそのまま今川家との手切になるわけではあるまい。当家が遠江へ出張ることにしても同様だ。あくまでも、われらが今川家と松平党の仲裁に入るということだからな。東海道での諍(いさか)いがなくなれば、今川家は駿河(するが)を固め直し、力を蓄えることができよう。盟友が再興を期すための策とならば、北条家にも不服はあるまい。上野(こうずけ)での共闘は揺るがぬのだからな」
「確かに、仰せの通りかと」
「されど、この話はしばらく、ここにいる者だけで進める。家中には今川家の縁者もおり、余計な詮索は招きたくない」
 信玄は暗に義信(よしのぶ)の正室のことを言っていた。
「御意!」
 二人の重臣が声を揃えて答える。
「高白、そなたは引き続き今川と北条とのやり取りをしてくれ」
「わかりました。この話を頭の片隅におき、両家と話を行いまする」
 駒井政武が頷(うなず)く。
「釣閑斎、そなたは高遠(たかとお)城へ行き、勝頼の様子を見ながら織田と折衝を続けてくれ。使番には、昌幸を連れていくがよい」
「承知いたしました。すぐに向かいまする」
 長坂光堅も深く頷いた。
 この面会があったのは、永禄七年(一五六四)十二月初旬のことだった。
 数日後、躑躅ヶ崎館の廊下で、近習の長坂昌国(まさくに)が曽根(そね)昌世(まさただ)と出くわす。
「おお、孫次郎(まごじろう)!」
「長坂の兄様、お疲れ様にござりまする」
「ちょうど、よかった。明後日の夜、また寄合が開かれる。そなたも参加するよな」
 長坂昌国が言った寄合とは、義信が主宰する「学びの座」のことである。
「はい。もちろん、お伺いいたしまする」
「だいぶ人も増え、話の中身も充実してきた。今度、平八郎(へいはちろう)を誘おうと思っている」
 平八郎とは、土屋(つちや)昌続(まさつぐ)の幼名だった。
 昌続は譜代家老の金丸(かねまる)虎義(とらよし)の次男であり、曽根昌世とは同期の奥近習である。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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