よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「はい。存じておりまする」
「その今川家が敗れた桶狭間の戦いに、遠山直廉が織田方として出陣していたと聞く。遠山七頭と密接な関係にあった余は、その話に耳を疑った。まんまと二股をかけられた、とな。そこで直廉を問い詰めたならば、三郎殿の妹を娶ることになっているので仕方なく与力(よりき)したという返答があった。まことか?」
「まことにござりまする。それにお叱りを覚悟で申し上げますが、桶狭間の戦いは織田家が今川家に仕掛けたものではござりませぬ。大軍で押し寄せられ、やむなく防戦のために仕掛けた奇襲が功を奏し、あのような結果となりました。加えて、その時、織田家と武田家には敵対関係があったわけではなく、直廉殿も信玄様を裏切るなどという考えは毛頭なかったと存じまする」
「うむ。確かに、そなたの申す通りか。されど、三河(みかわ)の現況はどうだ。今川家の傘下にいた松平党(まつだいらとう)が裏切り、周囲の国人衆を巻き込んで好き勝手をしておる。しかも、その松平党の頭領である松平家康(いえやす)とやらは三郎殿と旧知の仲であり、今や盟約を結んだ仲だとも聞いておる。つまり、松平家康は三郎殿と尾張勢を後盾とし、東海道を荒らし回っているのではないのか?」
「三河の件に、織田家は関わっておりませぬ。されど、家康殿は幼少の頃、織田家の質であったこともあり、信長様とは昔からの知り合いでありました。その後、今川家の質となり、家康殿は長い不遇の時を過ごされ、桶狭間の戦い以後は今川家に臣従できぬと考え、信長様を頼ってきたと聞いておりまする。織田家としても国境を接する三河の有力な国人衆ということで、快く盟約を受け入れたのだと思いまする。ただし、あくまでも盟約ゆえ、家康殿と今川家の確執に割って入ることはできませぬ」
「その松平党が遠江(とおとうみ)にまで踏み入ることがあれば、われらとしても手をこまぬいているわけにはいかぬぞ。今川家との盟約もあり、援軍の要請があれば兵も出さねばならぬ。その時、三郎殿は家康とやらに『退(ひ)け』と命じることができるのか?」
「……命じることは……できませぬ」
 沢彦宗恩は慎重に答える。
「されど、織田家と武田家の縁組があれば、仲裁に入ることはできましょう。家康殿も信長様の進言を振り切ってまで、武田家や今川家と戦うとは考えられませぬ。それでは足りませぬか」
「なるほど。そこまで含めての縁組であるか」
 信玄は薄く眼を細め、右手で顎をまさぐる。
 希菴玄密と春国光新は、二人の緊迫した問答をじっと見つめていた。
「大筋は、よくわかった。興味深い点もあるゆえ、いったん預かり、検討してみたい。話は承ったと三郎殿に伝えてくれ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 沢彦宗恩は安堵したように答える。 

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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