よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「はい。さようにござりまする」
「確か、直廉の娘は生まれたばかりではなかったか?」
「今年で齢四になられまする」
「齢四で輿入(こしい)れ?……無理が過ぎるであろう」
 皮肉な笑みを浮かべ、信玄が呟(つぶや)く。
「確かに、御裳着の儀を迎えるまでに、あと十年はかかりましょう。それゆえ、まずは諏訪勝頼殿と御婚約をさせていただき、両家が誼を通じながら行き来をし、支度万端を整えての御輿入れにしたいと信長様が申しておりまする」
「婚約から輿入れまでの十年、二人の縁組を通じて、当家と織田家が睦(むつ)み合うと?」
「さようにござりまする。姫様のご成長に合わせ、年々、両家の御縁を深めていきたいと考えておりまする」
「縁組の名を借りた盟約ということか?」
 真顔に戻り、信玄が鋭い言葉を発する。
「……武門同士の盟約はまた別のものと存じますが、少なくとも末永い御縁を持ち続けたいという織田家からの希望にござりまする」
「ほう、なるほど。ならば、少し問いを変えよう。織田家は美濃攻略のために小牧山へ本城を移したと聞くが、その十年の間に斎藤家を制する目処(めど)はついておるのか?」
「……拙僧は戦のことを語る立場にはありませぬが、信長様はそのおつもりだと存じまする」
「数年で片付く、という口振りだな。われらの傘下には飛騨の者たちもいる。織田家が美濃を領国とするならば、当家とは国境を接することになる。それをいかように考えておるか?」
「そうしたことも含めての御縁組かと。織田家が美濃を制するのは、斎藤家を滅ぼすためではござりませぬ。京の公方様より上洛の御要請もあり、都への道筋を開くためにござりまする。織田家が美濃を制し、武田家が飛騨を制したならば、両家が揃(そろ)って上洛できる道筋が見えてまいりまする。近江(おうみ)をどうするかは、両家の御縁のもとに考えれば、よろしいのではないかと」
 沢彦宗恩は額にうっすらと汗を浮かべながら答える。
 ―─答えに、淀みがない。……なかなか喰えぬ響談僧だな。
 信玄は鋭く宗恩を見つめる。
「それは三郎殿の考えと受けとっても良いのだな?」
「はい。相違ござりませぬ」
「確かに、よくできた話ではある。されど、問題はそれだけではない」
 微かに身を乗り出し、信玄が矢継早の問いを繰り出す。
「われらが長らく今川家と盟約を結んできた仲だということを、そなたも存じているな?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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