第七章 新波到来(しんぱとうらい)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
八十
年が明けた永禄五年(一五六二)の正月、信玄は諏訪(すわ)の高島(たかしま)城にいた。
諏訪御寮人(ごりょうにん)のために普請した懐かしい城であり、そこで忘れ形見と時を過ごすためだった。
「四郎(しろう)……」
夕餉(ゆうげ)の膳をともにしながら、信玄が切り出す。
「いや、勝頼(かつより)。そなたの元服も済んだゆえ、正式に諏訪家の名跡を嗣いでもらう。ついては、この城から高遠(たかとお)城に移り、伊那(いな)郡を治めてもらう」
それを聞いた勝頼が眼を見開く。
「父上……。有り難き仕合わせにござりまする」
「高遠城はいま民部(みんぶ)が改修を行うておる。きっと満足のいく出来映えとなるであろう。保科(ほしな)は高遠城や伊那のことについて詳しい。元々、あの辺りの出だからな。移る前に色々と訊ねておくとよかろう」
信玄は勝頼の傅役(もりやく)である保科正俊(まさとし)の名を上げた。
「承知いたしました」
「新たな側近も必要と思い、候補を考えておいた。まとめ役は跡部(あとべ)右衛門尉(えもんのじょう)に任せることにした」
「跡部殿……」
「右衛門尉は百足(むかで)衆の使番を務めてきたゆえ、家中の間柄について熟知しており、戦場でもよく動ける。必ずや、そなたの役に立つはずだ」
信玄は跡部重政(しげまさ/右衛門尉)や初鹿野(はじかの)昌次(まさつぐ)の百足衆をはじめとする八名の家臣の名を上げる。
百足衆は信玄の近習(きんじゅう)から選(え)りすぐられて使番となった者たちであり、そのほとんどが重臣の子息である。
古(いにしえ)より百足は毘沙門天(びしゃもんてん)の遣いとされ、素早い動きと猛々(たけだけ)しい姿に加え、絶対に後ろへ退かないことから武術信仰の対象にもなってきた。
そうした由来から、信玄は最も信頼する使番に「百足」の旗指物を背負わせるようになった。太織白絹を三布縫い合わせにした旗に、上向きの大百足を墨で描いた指物は、武田一門の中で誉れ高い若武者の証(あかし)となっている。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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