よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「して、遠江、三河のこととは?」
「それは少々こみいった話の上に、内密の事柄ゆえ、ここではちょっと」
「ああ、確かに、そうかもしれぬな。では、わが室へ」
 馬場信房は秋山虎繁を伴い、自室へ向かった。
 二人きりになり、虎繁は独自で行った諜知(ちょうち)の内容を話し始める。
「三河の松平(まつだいら)党に怪しげな動きがありまする」
「松平か……」
「岡崎(おかざき)城の松平元康(もとやす)が尾張(おわり)の織田(おだ)家と盟約を結ぶのではないかという風聞が、このところ頻繁に耳に入ってきまする。松平元康は元々、今川(いまがわ)家の先陣大将を担っておりましたが、前(さき)の桶狭間(おけはざま)合戦を機に今川氏真(うじざね)殿から離反し、松平党としての独立を目指したようにござりまする。その背景には、早くから今川家に背を向け、尾張の織田家に与(くみ)した水野(みずの)信元(のぶもと)がいるのではないかと」
「水野とは三河と尾張の国境にある刈谷(かりや)城の城主か?」
 馬場信房が確認する。
「さようにござりまする」
「虎繁、ちょっと待ってくれ。地図を持ってこよう」
 信房は書棚から地図を出して広げる。
 そこには南信濃と駿河(するが)、遠江、三河、尾張など東海道(とうかいどう)の一帯にある城の位置が記されていた。
 信房は岡崎城、刈谷城、そして、織田信長(のぶなが)の本拠である清洲(きよす)城を指で追い、地勢を確かめる。
「……うぅむ。そなたの話通り、清洲城から刈谷城、岡崎城までが盟約で繋(つな)がったとするならば、すでに三河における今川家の威勢は失われていると判断すべきか。それに対して、今川家の最前線はどこになるか?」
「三河の東郡にあります上ノ郷(かみのごう)城、登屋ヶ根(とやがね)城の辺りでありましょうか。さらに東側にある吉田(よしだ)城、野田(のだ)城、根古屋(ねごや)城が三河東郡にあり、それらの城が国境を挟んで遠江西郡の二俣(ふたまた)城や曳馬(ひくま)城(浜松城)と連繋しておりまする」
 秋山虎繁が地図を指しながら言う。
「それぞれの城代は?」
 信房が腕組みをしながら訊く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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