第七章 新波到来(しんぱとうらい)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「宝飯(ほい)郡の上ノ郷城は今川家親族衆の鵜殿(うどの)長照(ながてる)殿、同じく登屋ヶ根城は岡崎城の城代を務めていた糟屋(かすや)善兵衛(ぜんべえ)殿にござりまする。渥美(あつみ)郡の吉田城は駿府(すんぷ)から派遣された小原(おはら)鎮実(しげざね)殿が城代であり、八名(やな)郡の野田城は元々、菅沼(すがぬま)定盈(さだみつ)の本拠でありましたが、織田家に寝返った後、今川家がこの城を奪還いたし、飯尾(いのお)連龍(つらたつ)殿が守っているとのことにござりまする。ただし、これらの周辺にある今川方の小城はかなり動揺しており、いつ何刻(なんどき)、寝返りが起こるかわからぬような状況であると聞いておりまする」
「当面、岡崎城の松平元康に対し、上ノ郷城の鵜殿長照殿と登屋ヶ根城の糟屋善兵衛殿が今川家の最前線となるわけか。よく調べあげたな、虎繁」
「お褒めに与(あずか)り、光栄にござりまする」
「三河湾を挟んで東の渥美半島、西の知多(ちた)半島へ至る一帯から目が離せぬということだな」
「さようにござりまする」
「されど、下伊那から見れば、三河の北側、設楽(したら)郡にいくつか気になる城がある。これと、これだ」
馬場信房は三河国北部にある設楽郡の田峯(だみね)城と亀山(かめやま)城を指差す。
「さすがは民部殿、目付けが違いまする。田峯城の菅沼定忠(さだただ)はいまのところ今川家に恭順しておりますが、そこにも深い因縁がござりまする」
虎繁の話によると、現在の城主である菅沼定忠は桶狭間の敗戦後も今川家の与力(よりき)となっているが、その父である菅沼定継(さだつぐ)には大きな問題があったようだ。
弘治(こうじ)二年(一五五六)頃、菅沼定継は刈谷城の水野信元から織田家への鞍替(くらが)えを誘われ、この話に乗ってしまったという。
そのせいで今川麾下(きか)にあった菅沼家が二分され、織田に寝返ろうとした定継は今川義元(よしもと)に討伐されて敗北し、当人は自刃せざるを得なくなった。
このことにより、菅沼の宗家は滅亡の危機に晒(さら)された。
それを救ったのが、今川の先陣大将になった松平元康である。
当時、まだ齢三であった嫡男の菅沼新三郎(しんざぶろう/定忠)は、松平元康の仲介により叔父である菅沼定直(さだなお)の嘆願によって、何とか今川義元の麾下に留まれることになった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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