第七章 新波到来(しんぱとうらい)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「ところが、松平元康が今川家から離れ、水野信元の誘いで織田へ接近したことで、今は菅沼定忠の立場が再び危うくなっておりまする」
虎繁の言葉に、信房が頷く。
「旧恩のある松平元康の誘いとあらば、菅沼定忠も無下には断れぬかもしれぬということか。されど、その背後には父親を自死に追いやり、菅沼宗家を危機に陥れた水野信元と織田家がいる。菅沼定忠はさぞかし、複雑な心境であろうな」
「おそらく今川氏真殿も同じような思いをもって田峯城を見ているのではありませぬか」
「亀山城はどうだ。何か懸念があるのか?」
「亀山城の奥平(おくだいら)貞勝(さだかつ)も似たような状況に置かれておりまする。水野信元が菅沼定継を誘った時、同じように亀山城の奥平貞勝にも織田への鞍替えを持ちかけておりまする。奥平貞勝はそれに応じ、菅沼定継と呼応するように今川家からの離反を謀(はか)っておりまする。されど、今川家の討伐が始まると、織田家からの援軍は満足に得られず、蜂起から半年程度で鎮圧されて窮地に陥りました。慌てた奥平貞勝は離反の罪を弟の貞直(さだなお)になすりつけ、この者を処分することで今川家への再属を許されたという過去がありまする」
「なにやら、悲惨な話だな」
「まことに。されど、奥平貞勝は今川義元殿の尾張侵攻に同行しており、敗北後も離反の動きは見せておりませぬ。おそらく息を潜め、周囲の動向を見守っているのではありませぬか」
「そなたが申す通りならば、設楽郡の国人衆は要注意であるな」
「はい。油断ならぬ者たちかと」
「当面、三河と遠江からは眼が離せぬな」
「いっそ当方から菅沼定忠と奥平貞勝へ調略を仕掛けてはいかがにござりまするか?」
薄く笑いながら、秋山虎繁が言う。
「今川家の与力にか……」
「盟約に含まれている相手ならば、誼(よし)みを通じてもおかしくはないかと」
「なるほど、そなたの申すことにも一理ある」
馬場信房は頷きながら虎繁の顔を見つめる。
――この漢、以前から利発で器用だとは思うていたが、すでに先を見通す慧眼(けいがん)が備わっている。一皮、剥(む)けたということか。
「虎繁、これだけの話があれば、きっと御屋形様もお喜びになられるであろう。城の検分にお越しになった時、それがしからご報告しておく」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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