よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さようにござりまする」
「そのことを、あ奴にも伝えてやってくれ」
「承知いたしました。すぐに」
 跡部信秋は丹波島の先陣へ向かった。
 七月十九日に一戦を交えた後、両軍は動くに動けなくなる。
 時はあっという間に過ぎ去り、暦は閏(うるう)十月に入ろうとしていた。
 対陣はすでに二百日を越え、武田勢は兵粮の調達に苦しみ始めた。同じように、旭山城に運び込んだ兵粮も底をつきかけている。
 晴信は御座処の具足の間へ入り、蓼(たで)の葉を嚙んだような面持ちで胡座(あぐら)を搔く。
 その正面には己の兜(かぶと)、諏訪法性(すわほっしょう)が鎮座していた。晴信が好む大鎧(おおよろい)に合わせ、甲冑師の明珍(みょうちん)信家(のぶいえ)に作らせた古式の大兜(おおかぶと)である。
 前立(まえだて)には甲斐金で作らせた大きな獅嚙(ししがみ)が付けられている。角を生やし、眼を剥いた魔除けの獅子(しし)の顔だった。
 晴信が独りで考え事をする時は、、この獅嚙と向き合うことを好んだ。難しい決断を迫られた時ほど、鋭い眼差しが何かを語りかけてくるような気がするからだ。
 しかし、気のせいか、獅嚙の放つ黄金の輝きが失せ、眠そうな表情になってしまったように見える。
「戦が始まってから、すでに半年以上。出陣から数日を経た後は、ずっとこの暗がりに置いておかれたゆえ、そなたもすっかり、ふてくされているか」
 晴信は苦笑しながら獅嚙の前立に語りかける。
 ――やはり、潮時のようだな。
 床の上で大の字に寝転び、眼を瞑(つぶ)った。
 ――これ以上、この戦を続けても、失うものこそあれ、すでに得るものは何もない。早々に手仕舞いせねばなるまい。少し早い気もしたが、今川(いまがわ)義元(よしもと)殿に和睦の仲介を持ちかけておいてよかった。
 暦が閏十月に入る直前、戦況の膠着を見た晴信は駿府(すんぷ)の今川家に使者を出し、義元に和睦の仲介をしてくれないかと頼んでいた。
 武門の中でも、ひときわ家格の高い今川家からの申し入れならば、長尾景虎も簡単に和談の仲介を無視できないだろうと考えて義元を担ぎ出したのである。
 今川家は足利(あしかが)義輝(よしてる)とも懇意であり、義元は京の公方(くぼう)からも仲裁の依頼があったという形を取り、長尾景虎に和睦の仲介を申し入れてくれた。二年前に景虎が初めての上洛(じょうらく)を果たし、足利義輝に拝謁したことを受けての一計だった。
 ――その返答はまだ届いておらぬが、景虎も天下の副将軍まで務めた今川家の面目を潰すわけにはまいるまい。帰路の峠に雪が積もる前ならば、決断もしやすかろう。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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