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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 ――やはり、若は正月のことで相当に傷ついておられる。気になさるなという方が無理ではあるが……。若を励まさねばならぬ立場の、この身がいつまでも昏(くら)い顔をしていて、どうするか。
 信方は気を取り直し、明るい声で言う。
「若、そろそろ下りませぬか。もう大分、ここで過ごしました」
「そうだな。御老師をお待たせするわけにもいかぬからな」
 太郎はこの後、長禅寺(ちょうぜんじ)で岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)の講話を受ける予定になっていた。
「やはり、元伯殿の処へ参られまするか。色々と気になることがあるのならば、しばらく講話をお休みにすることもできまするが」
「いや、御老師のご教授を受け続けたいのだ。父上には叱られたが、それはこの身が思慮の足りぬ真似をしてしまったからであり、御老師の講話が間違っていたからではないと思う。逆に、先日のことでお訊ねしたきこともある」
「さようにござりまするか。それならば、構いませぬが」
「行こう、板垣。だいぶ気持ちが落ち着いた」
「御意!」
 信方は歩き出した太郎を追いながら、我慢できずに問いかけてしまう。
「……若、御屋形様の仰せになったことが、気にかかっておられますか?」
「ああ、未だに一言も耳から離れぬ。……されど、悩み事はそれだけではないのだ」
 太郎は弱々しく笑ってみせる。
「と、申されますると?」
 聞き返した信方に、太郎は黙って首を横に振る。
「若ぁ……。この板垣めには、何でも包み隠さずにお話しくだされ。決して他言いたしませぬゆえ」
「さように言われてもな……」
 太郎は逡巡する。
「お願いいたしまする!」
「ああ、わかった。朝霧(あさぎり)殿のことなのだ……」
 朝霧殿とは、昨年嫁いできた扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)朝興(ともおき)の娘だった。
 齢十三の太郎よりも三つ歳上の朝霧殿は、まだ女子成人の儀である御裳着(おもぎ)を済ましたばかりの姫である。
「……どのように接すればよいのか、まったくわからぬ」
「お、おお、なるほど」
 さすがの信方もひと唸(うな)りした後、黙り込んでしまう。
 ──夫婦(めおと)とは申せ、お二方とも幼すぎるし、婚姻そのものが急すぎた。仲むつまじくといっても、確かに難しかろう。
 太郎は困り果てた顔で呟く。
「朝霧殿も親元から離れ、たいそう寂しかろうと思う。励ましの言葉をかけに行きたいのだが、何を言えばよいのか、見当がつかぬゆえ、つい足が止まってしまう。板垣、さような時はどうすればよいのであろうか」
「そ、それは……。この身にとっても、難しいお訊ねにござりまする。若き女子……ましてや、姫様のお気持ちなど、それがしには計りかねますゆえ」
 信方は蓼(たで)の葉を噛んだような面持ちとなる。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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