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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 帰り際、太郎を先に送り出し、信方が岐秀禅師に頭を下げる。
「これからも若のことをよろしくお願いいたしまする。御老師のすべてに感服いたしました」
「口先坊主のわりには、なかなか面白いと?」
「……いいえ、口先坊主などとは」
「山門の行者は問答が専門ゆえ、口先坊主と言われても苦にいたしませぬ。答えは、いつも問答を突き抜けた果てにありますので、語り尽くすことに労苦を惜しみませぬ。それよりも、なかなかに難しき親子のご関係とお見受けいたしましたが」
 岐秀禅師はいきなり核心を突いてくる。 
「御屋形様は厳しい御方ゆえ、ご長男といえども甘やかしたりいたしませぬ。それもお世継ぎとして期待なされている証(あかし)と存じまする」
 信方は苦しい言訳をする。
「太郎様は実に聡明で、辛抱強い御気性にござりまする。武田の御屋形様も、それをわかっていただければ……。今は忍耐の時かもしれませぬな」
「まことに」
 信方は再び頭を下げた。
 それから二人で轡(くつわ)を並べ、長禅寺を後にした。
 岐秀禅師の講話があった数日後、太郎が望んでいない指南の日がやって来る。父に命じられ、飯田虎春が指導を担当することになった弓箭の稽古だった。
 太郎は狩装束に射籠手(いごて)をはめ、館の射場で指南役を待つ。その隣に、仏頂面の信方が立っており、同じく狩装束に射籠手という姿である。
「お待たせいたしました」
 つくり笑顔で飯田虎春が現れる。
「よろしくお願いいたしまする」
 太郎が頭を下げ、信方も嫌々ながらそれに従う。
「では、さっそく始めましょうか、勝千代様」
 そう言った飯田虎春を、頭を上げた信方が睨む。
「どうかなさいましたか、駿河守殿。さように怖い顔をして」
「……何も、ないが」
 信方が仏頂面で答える。
「まあ、何か思うところがあったとしても、お口出しは無用に願いまする。これは御屋形様が直々にお命じになった指南ゆえ、本来ならば勝千代様とそれがしが二人で行うべきもの。傅役の方の立ち会いも必要ありませぬ。たまさか一緒におられましたゆえ、細かきことは申しませぬが、その辺りのことはお汲み取りくだされ」
「邪魔するつもりはない。口出しもせぬ。されど、見聞はさせてもらう」
 信方はこの年で齢四十六となったが、飯田虎春は二つ下の齢四十四である。元々は後輩だったが、今では家中の席次を追い抜かれており、二人は微妙な関係となっていた。
「まあ、よしなに」
 素っ気ない答えを返し、虎春は太郎に向き直る。
「勝千代様、試射を拝見しとうござりまする。まずは五本で」
「わかりました」
 いくぶん緊張した面持ちで、太郎が頷く。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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