連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 しかし、上手を相手とした初心者ならば、かろうじて、形振(なりふ)り構わぬ暴挙が許される。初心者がどれほど暴れようとも、上手が対処の方法を間違うわけがなく、はっきりと負けを自覚させるまで相手の石を殺し続けられるからだ。
 ――どうすればよい、板垣?
 そう問いかけるような太郎の視線に、信方は顰面(しかみづら)で一度だけ頷く。
 ――ええっ!……どっちなのだ!?
 太郎は頷きの意味を計りかね、もう一度、盤上を見つめる。
 ――これがただの遊戯ならば、ここで投了する方が見映えはよいかもしれぬ。……されど、もとはと言えば、孫子と三略にまつわる話から始まった対局だ。もしも、これが合戦だとするならば、意気地なく、すぐに負けを認めるのではなく、無様といわれようが乾坤一擲(けんこんいってき)の手を放って足掻(あが)くべきではないのか。
 それが太郎の結論だった。
 汗ばむ右手で黒石を掴み、天元の白石に付ける一打を放つ。
 それを見た岐秀禅師は口元で微かに笑い、付けてきた黒石の斜め横に「跳ね」と呼ばれる一手を返す。太郎は斜めに並んだ二つの白石を分断するように「切り違え」という手で応じ、白と黒の石が交差する。ここからは黒石が生き延びようとして見境なく暴れ廻る突撃戦となった。
 必死で生き残りを模索する太郎に対し、岐秀禅師は的確な応手を放ち、ことごとく可能性を潰していく。
 ――若、戦いを諦めぬ気概はわかりまする。わかりまするが、やはり、それは無理筋の戦いにござりまする……。
 信方は瀕死となった中央の黒石を見て、肩を落とす。
 太郎は黒石を手に、じっと碁盤を睨んでいる。だが、次に打つべき手が見つからず、細い息を吐いた。それから石を放し、碁笥の蓋に溜まっていた揚浜の白石を掴んで碁盤の端に置く。
 投了の合図だった。
「……参りました」
 小さく頭を下げた太郎に対し、岐秀禅師も一礼する。
「きわどい勝負にござりました。太郎様がいずれかの隅を諦め、一足早く中央へ出られましたならば、まだ勝敗はわからなかったでありましょう」
「……いいえ、完敗にござりまする。しかも、死なずに済んだはずの黒石を闇雲に打ち込んでしまいました。これが本物の合戦であり、兵の命を無駄にしたならばと思うと、己の浅慮にぞっといたしまする」
「ほう、さように思われましたか。ならば、だいぶ石を取られました拙僧は、兵を見捨てる無慈悲な将の如くにござりまするか。勝つためならば、手段を選ばず、味方の犠牲も厭(いと)わぬような」
「そのような意味で申したのではござりませぬ」
「いえいえ、さように思われても結構。元々、不利を承知で始まった戦いゆえ、こちらも多少の無理をし、捨石などの犠牲を払わねば、まともに戦えはいたしませぬ。戦うからには、勝たねば無意味、奪われた石の面目が立ちませぬ。すべての石を愛おしく思い、守ろうとすれば、勝機を逃してしまうことになりかねませぬゆえ」
「あっ!」
 太郎と信方が同時に声を上げる。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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