連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「おお、見事!」
 太郎が思わず手を叩く。
「若、これから板垣めが弓箭のこつを理でお教えいたしまする」
 信方は弓を渡しながら説明する。
「構えや弦の引き方は、己が一番しやすい方法でやればよろしい。ただし、これだけは忘れずに。的へ向かう前、必ず眼を瞑(つぶ)り、己の気息を整えまする。その際に、一番嫌いな奴ばらの顔を思い浮かべ、瞳の裏に焼き付けてくだされ。それが済みましたならば、的を確かめ、焼き付けた顔と真中丸を重ね合わせてみまする。そこから的に向かい、あまり何も考えずに弓を引き、真中丸に嫌いな奴ばらの顔が浮かんだならば、躊躇わずに矢を放てばよろしゅうござりまする」
「板垣、本気で申しているのか?」
「騙されたと思い、お試しくだされ」
 信方に促されるまま、太郎は言われた通りにやってみた。
 頭の中を空にして弦を引き絞り、嫌いな顔を真中丸に重ねてみる。その途端、矢筈(やはず)が自然に指から離れ、緩い弧を描いて矢が飛んでいく。
 まるで吸い込まれるように的の中心に向かう。
「当たった!」
 太郎の放った矢は、なんと真中丸を射抜いていた。
「……まことに、当たった」
 呟いた太郎よりも、口を開けたまま信方の方が驚いている。
「……若……当たりましたぞ」
「そなたの言う通りだった」
「一番嫌いな奴ばらの顔」
 信方と太郎は顔を見合わせて噴き出す。それから、二人は腹を抱えて笑い続ける。
 その脳裡には、同じ顔が浮かんでいた。
 ――理を説いて迷いを払拭してくれる御方がいると思えば、言葉を連ねて人を困惑させるだけの者もいる。
 太郎は、笑いながら、そう思っていた。
 悩みは一朝一夕に解決するものではない。
 しかし、真っ直ぐに悩みと向き合い、ひとつひとつ納得できるまで理で考え尽くさなければ気が済まない性分だった。
 太郎の解決方法は、片足ずつしか前に出せない人の歩みに似ている。一歩でいきなり遠くまで行けるはずもない。
 そして、傍らには常に同じ歩調で進もうとする板垣信方が付き添っていた。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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