殺すとは過激な表現であるが、囲碁では相手の石を奪ってしまうことを意味する。己の石で囲んだ陣は、眼と呼ばれる空白の数で広さが決められ、その眼が最低でも二つなければ、自陣として成立しないという決まりになっていた。 つまり、二眼のない陣が相手の石に囲まれれば、己の石がどれだけ連なっていても、相手に奪(と)られてしまう。すなわち全滅である。 相手に召し上げられた石は「揚浜(あげはま)」と呼ばれ、いわば敵の捕虜となり、そこに開いた空白、つまり眼がそのまま敵陣となる。自兵が全滅し、そこが相手の陣となるのだから、当然のことながら敵の得た利は自陣と思っていた石数の分となり、出入りの計算は倍の損になってしまう。 逆に、敵の石を殺し損ねれば、敵陣の中に打ち込んだ己の石が揚浜、すなわち敵の利となる。これは持ち込みと呼ばれ、時には接戦の勝敗を左右した。 囲碁において石の死活が難しいというのは、そのような意味においてだった。 岐秀禅師の急襲により、局面は一気に緊迫し、これまでとはまったく様相が変わる。 太郎もそのことは重々承知していた。 ――おそらく、これは隅の死活に関わる一手であり、己の応手が試されているのだ。間違えれば、敗着になることもあり得る。もしかすると、御老師は「問いかけに対する返答の選択」について、何か投げかけをされておられるのだろうか。 盤面を睨みながら、太郎の耳朶(みみたぶ)が赤くなる。 ――若、正念場にござる! 性根を据え、相手の石を殺し返すぐらいの気迫で一手を! 信方も手に汗を握っていた。 太郎の応手を確かめた岐秀禅師は、あいかわらず飄々と白石を置いていくが、そのことごとくが最強手ともいえる厳しい一打だった。 ──とにかく、己の石が死なぬように。この黒石のひとつひとつが、わが兵の命だと思わなければならぬ。 太郎は息を詰め、必死で考え抜いた応手を繰り出す。 互いの石が軋みを立てるほどの競り合いが続き、太郎は何とか自陣の二眼を守り切った。 「ほう、生きましたか」 岐秀禅師は柔和な笑みを浮かべながら、黒衣の袖を捲り上げる。 「ならば、これで」 別の隅へ強硬な一打を打ち込む。 今度は一隅だけでなく、残った隅にも次々と石を打ち込み、三カ所の隅で黒石を殺しにかかる。 あちらの隅を打っているかと思えば、手前の隅に白石が飛んできて、太郎は息つく間もない。しまいには頭の中が混乱し始め、三隅すべてで互いの石を取り合う激しい乱戦となった。 信方の眼も廻るほどの急展開であり、一瞬、黒石の死活を見逃しそうになる。 太郎は何度も両手で己の頬を叩きながら冷静になろうとするが、思考はどんどん加熱し、顔が紅潮していた。その分、混乱も増していく。 四隅での激闘があらかた終わり、岐秀禅師は一息入れるように碁盤全体を見回す。太郎の黒石は四隅で二眼以上を確保し、全滅を免れている。しっかりと生き延びたのである。 それを確認してから、岐秀禅師は、ぴしりと天元(てんげん)に白石を打ち込んだ。