二人は愛駒を繋いである積翠寺へ下りる。 「若、せっかく、ここまで来ましたゆえ、涌湯(わきゆ)に浸かってから参りませぬか」 「えっ?」 「産湯を使うて以来、ここの湯に入っておらぬと存じまするが」 「それはそうだが……」 「悩みに凝り固まっている時は、のびのびと湯に浸かるのが、一番の養生にござりまする。ここの湯には、矢傷なども癒す特別の効能もありまする。どうか、お試しくだされ。元伯殿には遣いを出し、少し遅れそうだとお伝えすればよろしいかと」 「そなたは入ったことがあるのか?」 「若がお生まれになった翌日、心おきなく湯に浸かりにまいりました。熱さもちょうどよく気持ち良うござりましたな。それ以来、ちょくちょく。特に、夫婦喧嘩などして、むしゃくしゃした時、こっそりと入りに来ておりました」 信方の言葉に、太郎は困った顔で笑う。 「裸でいるところを獣に襲われたりせぬのか」 「ええ、確かに寺の者が『山の野獣(のけもの)たちも湯に浸かりにくることがある』と申しておりました。おそらく、傷の養生などをしに来ているのでしょうから、鉢合わせしたとしても素知らぬ振りをしておれば、向こうも攻撃はしてきますまい。まさか臆しておられますのか?」 「臆したりは、しておらぬ。そなたが急に奇妙なことを言い出したから、戸惑うておるだけだ」 「まさか、漢(おとこ)同士の裸の付き合いが恥ずかしいなどと申されますまいな」 「何を申すか。そなたと川で水練をしたこともあるではないか」 「それは毛も生え揃うておらぬ童の時ではありませぬか。たかが湯浴み如きのことで、若が尻込みしておられると見受けましたゆえ、何か特別な訳があるのかな、と」 信方が挑発する。まるで「やっと、下の毛が生え揃ったからではありませぬか」と言わんばかりの口調だった。 「別に、特別な訳など何もない!」 太郎は怒ったように言い、そっぽを向いた。それから、傅役を置き去りにし、足早に厩(うまや)へ歩いていく。 信方は小走りで追いつき、小さく頭を下げる。 「若、申し訳ござりませぬ。徒口(あだぐち)が過ぎました。少し莫迦(ばか)/\しいことでもなさり、ご気分を換えるのもよいかと思っただけにござりまする。ご堪忍くださりませ」 「それはわかっているつもりだ。そなたに余計な気を遣わせ、申し訳ないとも思うておる」 「若……」 「板垣、この鬱屈とした悩みのいくつかが解決したならば、晴れて二人で湯に浸かりにくるということでどうだろうか。心おきなく、のびのびと」 「御意のままに」 信方は深々と頭を下げる。 「では、長禅寺へ参ろう」 太郎は愛駒の手綱をほどき、鞍に跨がった。