二人は要害山を下り、巨摩(こま)郡の長禅寺へ向かう。そこでは禅師の岐秀元伯が待っていた。 「御老師、本日はこの身からご相談させていただきたいことがござりまする」 太郎は講話が始まる前に申し入れる。 「はい。何なりと」 白眉の奥で笑みをたたえた岐秀禅師が頷く。 「実は、正月に、かようなことがありました」 太郎は元日の宴席で交わされた父との会話を包み隠さず話し始める。 ――若がここまで赤裸々にお話をなさるとは……。 二人の会話を詳細に再現する様を見て、信方は驚いていた。 「……さようなことがありまして、この身は父上から大変なお叱りを受けましてござりまする。この身に不足があったことはわかりましたが、同時に解せぬことも多々ありました」 太郎は苦しげに声を振り絞り、話を終えた。 「なんとも苛烈なる、お話にござりまするな。武田の御屋形様の仰せはごもっともにござり、若きより一国を統べる労苦を背負った御方からすれば、われらは確かに口先だけの講釈師に見えるやもしれませぬ。残念ながら」 口先坊主という罵倒に、さして打ち拉がれた様子もなく、岐秀禅師が言葉を続ける。 「して、太郎様のご相談とは、いかなる事柄にござりまするか」 「はい。まずお訊ねしたいのは、父上が仰せになられた『孫子と三略が相反した事柄を述べている』ということにござりまする。いったい、どちらが正しいのでありましょうか?」 「どちらが正しいか……。それは相当難しい問いにござりまするな。孫子が『愛民は煩(わずら)わさるべき』と説き、三略は『志(こころざし)を衆に通ず』を君子の徳と説いており、確かに二つの節はそれだけを並べてみれば相反しておりまする。はてさて、どちらが正しいのか」 岐秀禅師は質問を反芻する。 「時と場合によりまする。……などと答えようものならば、この首が飛びそうにござりまするな。かといって、白黒などつけようもない。なぜならば、孫子を記した孫武(そんぶ)と三略を記したとされる太公望のどちらが優れているのか、と問われても答えようがないからにござりまする。孫武と太公望では、生きていた国や時代も違いますし、三略に至っては太公望の作を黄石公(こうせきこう)が選録したものを伝えたとされておりますゆえ。もちろん、どちらが牡丹餅の如く甘っちょろいのか、ということも、拙僧にはわかりかねまする。双方とも、深く読みこなせば、それぞれに苦み走った奥深さがありますゆえ。さてさて、これは困った……」 とぼけた口調で呟いた岐秀禅師を、信方が睨みつける。 ――さように、のらりくらりと返答をはぐらかすから、口先坊主などと言われるのだ。 「……うぅむ。どうやら、これは問いの立て方に無理があるようにござりまするな」 「問いの立て方に無理がある?」 太郎は小首を傾げて岐秀禅師を見る。 「もしくは、その問いに答えを出しても、さしたる意味は見出せぬかもしれませぬ」 「御老師、もう少し、わかりやすくお聞かせ願えませぬか」 「言葉を連ねて説明してもよろしいが、ちょうど良い例がありまする。本日は講話の代わりに、それを使って太郎様の問いにお答えしましょう。しばし、お待ちあれ」 岐秀禅師は立ち上がり、隣の室に消える。