連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……愛民は煩わさるべきなり。孫子の五危」
 そう呟きながら、太郎は四隅の黒石を見る。
 ――隅を守ろうとして並べた石をすべて惜しんだがゆえに、小さな陣地に甘んじてしまった。御老師が申された通り、守る振りをしながら一隅だけを捨て、中央へ出ておけば、かような惨敗は避けられたかもしれぬ。やはり、孫子が正しかったということか……。
 後悔は先に立たず、という思いだった。
「拙僧は決して孫子の五危が正しいことを証明するために囲碁を打ったわけではありませぬ。もちろん、勝敗がなにがしかの答えとなっているわけでもなく」
 穏やかな笑みを浮かべ、岐秀禅師が意外なことを言い始めた。
「では、この対局の意味とは?」
「これから、お話しいたしまする。太郎様は今、これが合戦であったならばと申されましたな。やはり、戦などになぞらえた方がよろしかろうか?」
「その方が実感が湧くやもしれませぬ」
「わかりました。ならば、この碁盤をひとつの国、互いの石を兵や民と見立てましょう。まずは太郎様がしっかりと四方に黒石という仕えの兵と民を持っておられました領地に、拙僧の白石兵を乱入させました。まあ、合戦と囲碁の違いは、互いが一手ずつ策を繰り出せるところかと。同時に何カ所もの石は打てませぬゆえ、目先のことで局面が変化いたしまする。それならば、四方を固められていても、何とか戦いにはなるはず。四隅にいる敵を各個撃破してゆけばよろしいので」
 岐秀禅師は時を対局の始まりに巻き戻し、流れを説明してゆく。
「そこで拙僧が取りました策は、太郎様がご覧になった通り、ひとつの隅に対する急戦と奇襲にござりまする。碁盤の隅は『守るに易く、攻めるに難しい』という特性を持っておりますので、星に己の石があれば隅の陣を守りたくなるのは当然。相手が経験の多い戦上手だと思えば、なおさらのこと。拙僧としては、まず太郎様が守りに徹するか、いきなり挟みの黒石などを打ち、戦いにくるかを確かめとうござりました。運良く守っていただいたので、奇襲と急戦を繰り返し、相手の打ち筋を見ることにいたしました。ここでは捨石を含め、だいぶ石を失いましたが、そのおかげで拙僧は太郎様の凌(しの)ぎ、つまり生き延び方の手筋を読むことができるようになったかと。次は三つの隅に急戦を仕掛け、相手の眼を攪乱するように三カ所の戦いを飛び回りながら、同じように三隅で黒石に生きていただくよう仕向けました」
「生きていただく、と申されましたか?」
 太郎は眉をひそめながら確認する。
 信方も同じ質問を思い浮かべていた。
「はい。それも、できるだけ小さく生きていただくように策を弄しましてござりまする。拙僧は黒石の死活など真剣に見ておりませぬ。ただ死活の急所に白石を置き、『放っておけば死にますよ』と脅し続けただけにござりまする。狙いはまったく別のところにありました。最初の隅を生き延びた時、太郎様は白石がどのような並びになっていたか、覚えておられまするか?」
「ええ、確か、黒石に張り付いて壁のようになっていたかと」
「再現してみましょう」
 岐秀禅師は碁盤の上の石を両手で掻き落とし、恐るべき疾(はや)さで黒白の石を交互に並べていく。寸分の狂いもない手順で最初の隅の形ができ上がった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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