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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「志を衆に通ず!……三略ではありませぬか。ならば、急場では孫子の教えが生き、大局では三略の教えが生きたということにござりまするか?」
「そのようにござりまするな」
「相反するはずの教えが、御老師の中でひとつになっている。それが、この図、対局の結果……」
 太郎は白石が囲む大きな空白を凝視する。
 その中央に、岐秀禅師は白石を打った。
「ここに拙僧の要石を先着できれば、ほぼ狙いは完成にござりまする。されど、こうなると……」
 手順をだいぶ戻し、最後の白い城壁が立つ前に、岐秀禅師は天元に黒石を置く。
「……だいぶ、景色が変わりますな。黒が一隅を棄てる覚悟を決め、先手で中央の戦いを始めれば、白がここまで完璧な城壁は立てられなかったと存じまする。例えば、このように」
 岐秀禅師はまったく違う手筋で、黒石が中央に雪崩れ込む図を創り上げる。それによって白の広大な陣地が呆気なく崩壊した。
 太郎はもとより、信方がその技に感心していた。
「もう、おわかりとは思いますが、孫子と三略のどちらが正しいかという問いに答えはありませぬ。つまり、その問いは、どこまでいっても不毛。されど、双方の教えは、学んだ者の運用によって生かされる局面が増えるということにござりまする。同時に、双方の教えは決して万能ではなく、ともすれば、運用さえもできぬ出来事や局面も存在するということにござりまする。大まかに申すならば、孫子はどちらかというと急場の戦いに、三略は大局を描くのに役立つのではないかと、拙僧などは思いまする。ただし、双方を使わずとも、武田の御屋形様の如く国を統べることができるのでありましょう。この世のすべてを正誤や善悪だけでは判断できぬように、先人の教えも然りにござりまする。いかがにござりまするか。これで、お答えになりましたでしょうか?」
「よくわかりました。胸のつかえが下りたような気がいたしまする」
「それはようござりました。では、逆に、拙僧から太郎様にひとつ、お訊ねいたしとうござりまする」
「どうぞ、何なりと」
「御父上に口先坊主とまで言われた拙僧の講話を、なにゆえ、お止めになろうと思わなかったのでござりましょうや?」
「……父上に叱られたのは、この身が至らなかったせいにござりまする。それに、御老師の講話はいつも面白く、孫子や三略の教えも無駄にはならぬような気がいたしました。もっと深く教わりたいと」
「さようにござりまするか。有り難き仕合わせ。拙僧も孫子や三略を読み返す度に面白いと感じ、新たな発見がありまする。簡単に底をつくような浅い教えではないと思うておりまする」
「これからも、ご教授をお願いいたしまする。それと、できれば囲碁もお教え願えませぬか。本日、初めて奥深さを体験いたしました」
「では、修学の後の気晴らしに打ちましょう。最初は六子局ぐらいから始めるのがよいかもしれませぬ」
「有り難うござりまする」
 太郎が嬉しそうに頭を下げ、この日の講話は終わった。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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