「うぅむ、これは困った」 虎春は空矢の先を掌に打ちつけながら歩き廻る。何かを思案しているような素振りだった。 「勝千代様、これまで性根を据えて弓箭の稽古をなされてまいりましたか?」 「はい、そのつもりにござりまするが……」 「まことにござりまするか?」 虎春は疑わしそうな視線を太郎に向ける。 「何たらという禅師の講話は、今どうなされておりまする?」 「……続けておりまする」 「それはいけませぬな。御屋形様にあれほど窘(たしな)められたはずにござりまするが。その受講を止め、弓箭の稽古に廻してはいかがにござりまするか」 「講話と弓箭の稽古は関係が……」 「ありまする! それがしが指南を請け負ったからには、勝千代様に上達していただかねばなりませぬ。そのためには一に稽古、二に稽古。三略を覚えるよりも、四の五の言わずに弓を引く回数を増やさねばなりませぬ。自らが置かれた立場をよくお考えくだされ、勝千代様!」 虎春の言葉を聞いていた信方が先に沸騰する。 「いくらなんでも、若に対して失礼であろう、虎春!」 「それはいかなる言い掛かりにござりまするか、駿河殿! しかも、それがしを呼び捨てにしましたな。確かに歳は下だが、すでに家中の序列は、この身が上。聞き捨てなりませぬぞ!」 虎春も目角を立て、信方に詰め寄る。 「聞き捨てならぬならば、何とする?」 「御屋形様にありのままを報告し、然るべき処分をしていただきまする!」 「そんなことだろうと思うたわ。己の無礼も、ちゃんと報告するのであろうな」 「先ほどから無礼、無礼と申されるが、いったい、それがしのどこが無礼なのか」 「若を勝千代様などという幼名で呼ぶことが無礼でなくて、何が無礼か! 太郎様という歴とした仮名(けみょう)があるのだ。ご嫡男に対して、これほどの無礼があるか」 「ほほう、これは異な事を申される。駿河殿、ついに馬脚を露しましたな」 虎春は勝ち誇ったように笑う。 「よ〜くお考えくだされ。御屋形様が勝千代としか呼ばれぬ方を、なにゆえ、われら家臣が僭越して太郎様とお呼びせねばならぬのでありましょうか。御屋形様が勝千代の名で呼ばれている限り、われらも勝千代様とお呼びすべきなのだ。御屋形様が次郎とお呼びになるから、われらは次郎様を次郎様とお呼びするだけのこと。加えて、嫡男という話は初耳にござりまするな。確かに、勝千代様はご長男でありますが、嫡男と言われるのは、元服を済まして惣領の相続が決まってからではありませぬか。違うと申すならば、それがしへ文句を言う前に、御屋形様へ直談判なされてはどうか。もしも、駿河殿が御屋形様をお諫めする勇気があるならばの話だが」 「おのれ! 言うに事欠き……」 信方の言葉を遮り、太郎が声を発する。