第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
それに呼応し、赤備衆の騎馬が速度を上げた。
敵の声を耳にしながら、宇佐美定満が叫ぶ。
「御屋形様、そのまま馬場ヶ瀬を突っ切ってよろしいか?」
「渡りきれねば終わりだ。その時は観念いたせ!」
その口振りとは裏腹に、上杉政虎は息苦しさを感じていた。
実際、戦場でこれほどの窮地に追い込まれたのは、生まれて初めてだった。
─―あまつさえ武田晴信(はるのぶ)の首を討ち洩(も)らし、気がつけば己が死地を這(は)いずり廻(まわ)っている。この戦(いくさ)、天から見放されたのは余の方か……。
上杉政虎は思わず自嘲の笑みをこぼす。
広瀬の手前を左に曲がり、政虎の一行はひたすら川沿いの湿地を疾駆する。
だが、それを武田の赤備衆の一団が執拗(しつよう)に追う。その三十騎ほどの先頭に、黒鹿毛の馬を駆る赤備の大将が踊り出る。
上杉政虎の一行はついに馬場ヶ瀬へ辿(たど)り着くが、河へ入るためには速度を緩めなければならなかった。
そこで虎昌が追いつき、目にも留まらぬ突きで二騎の越後勢を打ち倒す。
「もう少しだ! あ奴らを逃すな!」
飯富虎昌が槍先を向ける。
その時、三騎だけ残った越後の馬廻衆が目配せをし、川縁(かわべり)で急激に馬首を返す。
「御屋形様、そのまま瀬をお渡りくださりませ! 背中は、われらにお任せを!」
宇野(うの)左馬之介(さまのすけ)が越後の総大将に向かって叫ぶ。
「余は大丈夫だ。そなたらも河を渡り、対岸で敵を迎え撃つぞ!」
上杉政虎が珍しく声を張り上げる。
「ここで戦うが、われらの本懐にござりまする。兄者(あにじゃ)、宇佐美殿と共に御屋形様をお守りしてくれ。頼んだぞ!」
和田(わだ)兵部は兄の和田喜兵衛(きへえ)に願う。
それから、二人は愛駒の手綱をあおり、武田勢の追手が来る方へ向かう。討死覚悟で敵を足止めし、主君を対岸へ逃がすつもりだった。
和田喜兵衛は川縁に留(とど)まっていた上杉政虎と宇佐美定満に馬を寄せる。
「御屋形様、どうか、このまま渡河を! あの二人の気持ちをお汲み取りくださりませ! 宇佐美殿、お願いいたしまする!」
家臣の懇願を聞きながら、上杉政虎は黙って遠ざかる二騎の姿を見ていた。
「御屋形様、家臣が御主君のために働くは常の倣い。二人の忠心を無下になされまするな。それぃ!」
宇佐美定満はそう叫びながら、放生月毛の尻を槍の石突(いしづき)で叩(たた)く。
驚いた政虎の愛駒は嘶(いなな)きを上げながら駆け出す。
「はいや!」
掛声を発した上杉政虎は、迅速に浅瀬を渡り始める。
その様を見た飯富虎昌が怒声を放つ。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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