よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 それから、茶臼山(ちゃうすやま)の頂に傾こうとしている幻日環を見上げる。
 その視線を追い、義信がまだ不満げな面持ちで天を仰ぐ。
「……なんだ、あの日輪は?……気がつかなかった」
 嫡男は呆然と西の空を見上げていた。
「天もこれ以上戦ってはならぬと申しておるのではないか?」
 信玄が静かな声を発する。
「あの日暈が見下ろす八幡原の大地には、まだ味方の骸(むくろ)が数多く横たわっている。われらが逸って犀川を渡るよりも、今ここで勝鬨(かちどき)を上げ、その後に亡くなった者たちを手厚く葬ってやるべきではないのか」
 その言葉が、嫡男の心に響いた。
「……確かに、仰せのとおりかと」
 義信が項垂(うなだ)れながら呟く。
「それに、これだけ追い立てたならば、越後勢もおいそれとは善光寺平(ぜんこうじだいら)に留まっておられぬ。われらの目的は果たされた。これで充分ではないか?」
「……わかりました。各所の将兵を集め、勝鬨を上げまする」
 義信は一礼してから、素早く踵(きびす)を返した。
 その背を見つめながら、信玄は大きな溜息をつく。
 ─―息子の具申を退けたくせに、このまま犀川を渡り、越後勢を完膚なきまでに叩き潰したいと思う己がどこかにいる……。
 見せかけの姿とは違い、心は激しく揺れていた。
 ─―己の激情のままに動きたい。動きたいという思いとは裏腹に、総大将として冷徹な判断を下さねばならぬ。まったく戦場において、ここまで心を引き裂かれるのは初めてだ。
 胸の奥から激情がこみ上げ、信玄は両手で何度も己の頰を叩く。
 ─―信繁……。許せ……。
 家臣たちに悟られないよう、兜の眼庇を下げる振りをしながら溢(あふ)れそうになる泪を拭った。
 川中島(かわなかじま)で陽が傾き始めた頃、武田勢は犀川の畔に陣取り、一斉に勝鬨を上げる。
 一時は敗勢に傾きかけた合戦を、自軍の勝利として見せる信玄の卓越した手仕舞いだった。
 一方、からくも馬場ヶ瀬を逃れた上杉政虎は、手負いの姿で善光寺横山へ辿り着いていた。
 総大将の無事を確認した越後勢は、軍勢をまとめて北の飯山城へ向かい、そこを経由して富倉(とみくら)峠へと入る。そして、信越国境にある髻山(もとどりやま/本取山)で首実検を行った。
 さすがに善光寺に留まることはできず、ほとんど敗走するように善光寺平から撤退したのである。
 この日、武田勢の死者は四千六百余名、負傷者は五千を越えており、実に多くの犠牲を払っていた。
 しかし、被害の実数以上に、多くの重臣を失ったことが問題であり、特に信玄の実弟である武田信繁の討死は想像以上の痛手をもたらしていた。
 一方、越後勢の犠牲は、死者三千四百余名、負傷者四千名以上にも及んだ。
 八幡原は武田勢の骸が散乱していたが、犀川の畔には逃げ遅れた越後勢の屍(しかばね)が転がっている。
 忽然(こつぜん)と川中島の天に現れた日暈だけが、累々と横たわる死を見下ろしていた。
 勝鬨の声が消えた後、武田勢は総軍で散乱した味方の屍を集めて弔い始める。
 ここに四度目の川中島合戦は苛烈な終焉(しゅうえん)を迎えた。
 それは大乱世の中でもほとんど類を見ないほどの死闘であり、今後の両軍にとって実に様々な意味合いを呈(てい)することになった。

第六部 〈了〉

 

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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