よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 相息の攻撃。両者はほとんど同じ呼吸で突き懸かる。瞬(まばた)きの間に、攻守を入れ替えて数合(ごう)を打ち合う。二人は馬を離して間合を計ってから、さらに槍を繰り出す。
 互角の腕前に一騎打ちが長引くかに見えた、その刹那である。
 宇佐美定満の背後から、赤備衆の追手が猛然と迫る。その気配を察し、越後の老将は軆(からだ)を捻(ひね)り、新たな敵が放った槍穂を石突で跳ね上げた。
 それから、くるりと槍柄を回し、脇を抜けようとした追手の首を切先で貫く。宇佐美定満の見事な返し技だった。
 しかし、その左肩に激痛が走る。
 飯富虎昌の放った一撃が、宇佐美定満を襲っていた。
「ぐわっ……」
 越後の老将は苦痛の声を上げながら愛駒の鞍(くら)から滑り落ちる。
「悪く思うな、老いぼれ! ここは戦場(いくさば)ぞ!」
 赤備の猛将は、地上に倒れた敵へ非情な一撃を繰り出す。
 飯富虎昌の放った切先が、起きあがろうとする宇佐美定満の喉元へ迫る。
 寒笛の如き悲痛な音が響き、刃が交錯する白い旋風が煌(きら)めく。
 なぜか、飯富虎昌が放った止めの一撃が跳ね飛ばされる。
 小豆長光の一振りが、間一髪のところで宇佐美定満を救っていた。
「宇佐美、わが駒に乗れ!」
 刀を手にした上杉政虎が短く叫ぶ。
「御屋形様!」
 宇佐美定満が血の噴き出す左肩を押さえて立ち上がる。
 ─―この老骨が御屋形様と呼ぶからには、こ奴がまことの長尾(ながお)景虎か!?
 飯富虎昌は驚愕(きょうがく)の眼差しで行人包を見つめる。
 白布に覆われた眼庇(めびさし)の陰に、鋭利な光を放つ双眸があった。
 宇佐美定満は愛駒を見るが、倒れた際に脚を痛めたらしく立ち上がれていない。
「わが駒に乗れ!」
 上杉政虎は老将に左手を差し出す。
 その隙を、赤備の将は見逃さない。
 延ばした上杉政虎の左腕に電光石火の一撃を突き入れる。
 飯富虎昌の槍が相手の左籠手(こて)に突き刺さり、血飛沫(ちしぶき)が舞い散る。
「くっ!」
 思わず苦痛の声を漏らしながら、上杉政虎は右手の刀で相手の槍柄を両断する。
 得物(えもの)を真っ二つにされた飯富虎昌の馬へ、すかさず宇佐美定満が体当たりした。
 驚いて竿立(さおだ)ちになった黒鹿毛の喉笛を、上杉政虎が渾身(こんしん)の力で斬る。
 倒れる駒の背から、赤備の猛将が吹き飛ばされた。その勢いが止まらず、土の上を何度も転げ廻る。
「宇佐美、手を出せ!」
 政虎は血の噴き出す左腕を差し出す。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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