よみもの・連載

信玄

第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 後詰の騎馬隊が武田勢と斬り結びながら、半円の隊形を組んだ足軽隊が西側に後退する。
 その様を、真田幸隆は冷静に見極めていた。
 ─―ほう、偃月の陣へ変わったか。直江山城守、さすがに無能ではないな。
 そう思いながら、真田隊の攻め手を少しだけ緩める。
 ─―されど、これで完全に丹波島の本隊とは分断した。あとは、小市辺りまで押し込み、渡河の刹那を狙えばよい!
 敵の退却を見切った機敏な采配だった。
 真田隊と馬場隊の武田勢は、じりじりと後退する越後勢を攻めながら西側へと追いやっていく。
 一方、丹波島の柿崎景家は絶体絶命の窮地に立たされていた。
 一千ほど残った自軍の兵をさらに半分近くまで減らされていたが、それでも犀川を渡ることができていない。
 それほど香坂昌信の采配は鋭く、武田勢の攻撃は熾烈(しれつ)を極めていた。
「敵は息も絶え絶えだ! 怯むな! 一気に討ち取れ!」
 昌信は鬼神の形相で叫ぶ。
 武田勢は小細工をせず、正面からの力攻めを選択していた。
 そこへ西側から新たな一軍が迫ってくる。
 丸内(まるうち)に「万」の一字。そして、三鷹羽(みつたかばね)の紋。
 現れた軍勢の旗印を確かめ、香坂昌信は小さく舌打ちする。
 ─―新手は、敵の援軍か!
 越後勢の新手、二千あまりが出現したことに少なからず驚く。
 ─―少しばかり面倒なことになるやもしれぬ。されど、柿崎景家だけは、なんとしてでも討ち取らねば!
「敵の援軍が西から来る! 備えよ!」
 前線が怯まないように、香坂昌信が注意を喚起する。 
 同じく、蹄音を聞いて振り向いた柿崎景家の瞳に映ったのは丸内に「万」の一字、甘粕景持の旗印だった。
 ─―景持が、あ奴が、かような処(ところ)まで救援に来てくれたというのか……。
 景家は信じがたい思いで眼を見開くが、隣には三鷹羽の旗も見える。まさしく新津勝資の旗印、味方の紋だった。
「和泉守(いずみのかみ)殿! ここはお任せあれ!」
 甘粕景持の率いる二千余が、柿崎隊の脇をすり抜けて武田勢の前線にぶち当たる。
「援軍が来てくれたぞ! われらも前へ出て、敵を押し返せ!」
 柿崎景家が自軍の兵を鼓舞する。
 柿崎隊の兵も息を吹き返し、何とか敵を押し返そうとした。
 越後勢の新手に攻撃され、香坂隊の前線が足踏みする。
 その後方から、さらに新たな一軍が現れた。
 振り向いた香坂昌信の視界に入ったのは、「月星(つきほし)」の旗印である。
 今度は赤備衆の一隊だった。
 怨敵の村上義清を追走したいと願った副将の甘利(あまり)昌忠(まさただ)に、飯富虎昌が己の一軍の半分を分け与えていた。
 一千余の赤備衆は西から現れた越後勢の新手に猛然と攻めかかる。
「赤備衆が援護に来てくれたぞ! 今だ! 押せ、皆の者!」
 香坂昌信が自軍を鼓舞する。 

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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